巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「マスコミは色々書くけどさ…」“猛批判された”巨人・落合博満40歳、じつは“気配り”がスゴかった…5連敗のピンチを救った「落合の緊急ミーティング」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2023/12/10 11:02
1994年、巨人1年目の落合博満(40歳)。当時の証言を振り返ると落合の意外な一面が見えてくる
7月7日の敵地・阪神戦から始まった連敗は、12日の札幌での中日戦で山本昌広に3安打完封を喫し、5連敗まで伸びると、すかさず背番号60が動いた。落合は宿舎の札幌後楽園ホテルに戻ると、ユニフォーム姿のまま14階のエレベーターホールに選手だけを集め、移籍後初の緊急ミーティングで「みんな、どうしたんだ」とナインに檄を飛ばしたのだ。
「5連敗をしたといっても、9.5もあったゲーム差が2つ縮まったに過ぎない。うちが絶対的に有利なのは確かなんだ。マスコミは、ここぞとばかりに色々書くが、彼らもそれが仕事なんだ。だから俺たちも自分の仕事をしよう。まだリードはたっぷりあるんだから、負けたっていいじゃないか。それと、今は野手が投手に迷惑をかけているけれど、必ずまた点を取るから、投手は点をやらないで踏ん張ってくれ。とにかく、野手は投手を信頼しよう。投手は野手を信頼しよう」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)
落合博満「やってない。知らないよ」
全員で車座になって腰を降ろし、ひと通り話し終えると、「シノ(篠塚)どうだ?」「タツ(原)、何かあるか?」と生え抜きのベテラン陣にも意見を求めた。すると、翌13日の中日戦、桑田が2失点完投勝利でチームの連敗をストップ。春のオープン戦で滅多打ちを食らいながらも、「まあシーズンに入ってからを見ててくださいよ」と言ってのけた右腕は、有言実行でハーラートップに並ぶ9勝目を挙げた。ヒーローの背番号18は、選手が自主的に集まった緊急ミーティングでチームがいい雰囲気になったとコメントするも、当の落合は「やってない。知らないよ」と舞台裏を語るようなことはしなかった。約2週間ぶりに本拠地に戻った7月16日の横浜戦では、槙原寛己が1点を守り抜き完封で8勝目。5連敗後に3試合連続で1点差ゲームをものにして3連勝と巻き返す。この年、斎藤・桑田・槙原はそれぞれ競うように好調を維持していた。
長嶋巨人が誇る先発三本柱は当然のように真夏の祭典、オールスターゲームにも3人揃って選出される。松井も外野手部門のファン投票で初出場を決めた。そして、前年まで13年連続で球宴選出中(92年は怪我で辞退)の落合は、いわばセ・リーグの顔でもある。当然、今年もと誰もが思った。しかし、首位を走る巨人の四番打者は、オールスターの監督推薦から漏れ、物議を醸す。
なぜ落合は落選したのか……? この年、監督推薦での出場選手を選出するのは、全セを率いる前年度優勝チームの指揮官、ヤクルトの野村克也監督だった――。
<続く>