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「悔しすぎて帰りの記憶がない」小林悠が2度の天皇杯決勝で味わった“天国と地獄”…中村憲剛の現役ラストゲームは「めちゃくちゃ泣きました」

posted2023/12/08 11:03

 
「悔しすぎて帰りの記憶がない」小林悠が2度の天皇杯決勝で味わった“天国と地獄”…中村憲剛の現役ラストゲームは「めちゃくちゃ泣きました」<Number Web> photograph by JFA/AFLO

2021年元日の天皇杯決勝で中村憲剛、登里享平と喜び合う小林悠。このとき中村が着ていたユニフォームは小林が譲り受けたという

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いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

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今季、限られた出場時間でリーグ4得点をあげ、三浦知良に並ぶ歴代7位タイのJ1通算139得点に到達した小林悠(36歳)。川崎フロンターレ一筋のベテランストライカーは、過渡期を迎えたクラブで今、何を思うのか。12月9日に迫った天皇杯決勝を前に、ロングインタビューを行った。(全3回の3回目/#1#2へ)

「帰りの記憶がない」小林悠が明かす“最悪の元日”

「あれは、人生で一番悔しい試合なんですよ」

 とある試合の記憶を尋ねたところ、小林悠はそう話し始めた。悔しさを原動力にゴールを奪い続けてきたストライカーの「一番悔しい試合」――それは2017年の元日に大阪で行われた、2016年度の天皇杯決勝だった。

 まだ無冠だった川崎フロンターレにとって、悲願の初タイトルがかかっていたファイナルであり、5年半に渡ってチームを率いていた風間八宏監督のラストゲームでもあった。

 相手はチャンピオンシップを制し、リーグ優勝を果たした鹿島アントラーズ。小林は後半に貴重な同点弾を記録するなど気を吐いたが、百戦錬磨の鹿島はしたたかだった。老獪な試合運びをしながら、一瞬の勝負所を見逃さない。延長戦までもつれた末に、川崎は1-2で敗れた。

「嘉人さん(大久保嘉人)がいて風間さんがいて、絶対にフロンターレが優勝するって思ってたんです。自分はゴールを決めましたけど、本当に悔しかった試合ですね」

 あまりの悔しさに、試合後の帰り道での記憶がまるでないほどだという。

「大阪から帰る新幹線の車内のことを何も覚えてないんですよ。家で子供たちに『どうしたの、これ?』って言われて、足を見たら真っ青に腫れ上がっていた。自分が怪我をしていたことが分からないぐらい悔しかったんです。最悪な1年のスタートでしたね(笑)」

 最悪な始まりとなった2017年は、キャプテンとしてリーグ初制覇を成し遂げるという最高の結末で幕を閉じている。だから人生は面白いと言えるかもしれないが、小林にとってそんな記憶が蘇るのが、天皇杯決勝という舞台でもあるのだ。

中村憲剛と抱き合って号泣した2度目の天皇杯決勝

 2度目となる天皇杯決勝は、2021年の元日だ。

 記念すべき第100回大会だったが、コロナ禍の影響で大会フォーマットが変更となり、Jリーグのチームが参加したのは準々決勝、準決勝、決勝のみだった。圧倒的な強さでJ1王者となった川崎は準決勝からの登場となった。ファイナルではガンバ大阪を相手に三笘薫の決勝弾で勝利し、大会初制覇を達成。ベンチスタートだった小林悠は、79分からピッチに立った。

「カオルがいるので勝つだろうと思っていたら、決めましたね。あのときの天皇杯決勝はあまり出てないし、そんなに思い出はないかな(笑)」

 脳裏に強く刻まれているのは、試合そのものよりも試合後の光景だ。

【次ページ】 「相手の優勝する姿を見るほど悔しいことはない」

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