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「悔しすぎて帰りの記憶がない」小林悠が2度の天皇杯決勝で味わった“天国と地獄”…中村憲剛の現役ラストゲームは「めちゃくちゃ泣きました」 

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いしかわごう

いしかわごうGo Ishikawa

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photograph byJFA/AFLO

posted2023/12/08 11:03

「悔しすぎて帰りの記憶がない」小林悠が2度の天皇杯決勝で味わった“天国と地獄”…中村憲剛の現役ラストゲームは「めちゃくちゃ泣きました」<Number Web> photograph by JFA/AFLO

2021年元日の天皇杯決勝で中村憲剛、登里享平と喜び合う小林悠。このとき中村が着ていたユニフォームは小林が譲り受けたという

“勝負強いフロンターレ”を伝統にするために

 川崎フロンターレというクラブは、2017年の初優勝をターニングポイントに大きく変わった。シルバーコレクターと呼ばれた頃の勝負弱さはなくなり、大一番で勝ち切る勝負強さを見せる集団になった。4度のリーグ制覇だけではなく、2度のカップ戦優勝という結果はその証拠である。

 その勝負強さは、大一番で勝った成功経験によってしか身につかないものでもある。

 これは2020年の話だが、小林と同様にクラブの浮き沈みをよく知る登里享平が、「結果論かもしれないですけどね」と前置きしつつ、こう話してくれたことがあった。

「タイトルを獲ったことで、自分たちに足りなかったものがわかったんです。チームの雰囲気、練習の雰囲気……。タイトルを獲るときの空気感は、ピッチ内でもピッチ外でも違った。それでリーグ2連覇したし、(前年の2019年に)ルヴァンも獲れたのだと思います」

 例えば、今年の日産スタジアムで行われた横浜F・マリノスとの神奈川ダービー。大一番と位置づけて臨んだ試合で、ホームで負けなしだった前年度覇者に、アディショナルタイムの劇的な決勝弾で土をつけている。そうした勝負強さが健在なのは、大一番での経験値がチームに根付いているからだ。

 どんな準備で臨んだのか。試合で何をしないといけないのか。あるいは、何をしてはいけないのか。そして、どうやって勝ってきたのか。

 今年の10月以降、チームは公式戦10試合負けなしとなっているが、勝負に対するこだわりが、再び選手間で共有されてきたということだろう。そうして受け継がれていく日常が、クラブの伝統になる。現在の小林は、後輩たちにそれを伝えていく立場にある。

「今の若い選手たちも、『あのとき、悠さんやソンさん(チョン・ソンリョン)が言っていたな』っていうのを感じながら、一発勝負の大事さを経験して強くなればいいなと思います。もちろん結果として、自分がゴールを決められれば一番いいですけどね」

 令和になってから、もっとも多くのタイトルを獲っているのは川崎フロンターレである。

 12月9日の天皇杯決勝。去年は味わえなかったタイトルという果実を、全力で奪いにいく。

<第1回、2回から続く>

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出場機会がなく涙する日も…川崎F一筋で139得点、小林悠“36歳の渇望”「ゴールが欲しい時は俺を使って」「残り10分でも5分でも関係ない」

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