巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで

posted2023/08/27 11:03

 
落合博満32歳が批判「えっ? 原辰徳とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」巨人電撃トレードの噂をバッサリ…「落合は巨人ドラ2だった」説の真相まで<Number Web> photograph by KYODO

1986年オフにロッテから中日にトレードされた落合博満。1億3千万円(推定)でサインし、日本人選手初の1億円プレーヤーに

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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プロ野球初のFA選手になり、40歳で巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? この新連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。第2回(前編・後編)は1980年代の“巨人ロッテ・トレード騒動”。何度もウワサされたロッテ落合の巨人移籍はなぜ実現しなかったのか?【連載第2回の後編/前編へ】

◆◆◆

「弱いジャイアンツだからそういう話が出る」

「いまどっちかっていうと管理野球でしょう。手とり足とり教えてサ。でもそれだったら野球やってる意味がない、つまらないと思うのね。野球はそれ自体ルールがあるんだから、そのルールの中でまだそれ以上にああせい、こうせいいわれたっておもしろくないじゃない。自分で作っていかにゃあ」(週刊ベースボール82年10月25日号)

 80年代、巨人戦は国民的娯楽として異様な人気を集めたが、玄人好みするパ・リーグで82年に続き、85年、86年と前人未到の三度の三冠王に輝く落合の存在は、その反巨人的な価値観の代表でもあったのである。実際にこの時期の背番号6は、週刊誌で連載コーナーを持ち、度々「“巨人の時代”なんてもはや過去のもんだね」と口撃。80年代中盤、頻繁にスポーツ紙を賑わせた自身の巨人へのトレード話についても、痛烈な盟主批判を口にしている。

「弱い、優勝できないジャイアンツだからそういう話が出るわけで、迷惑ついでに言わせてもらうと、いまのジャイアンツの選手とだったら、1対5でも割りに合わんよ。オレは、マジにそう思っているし、彼らとは、それぐらい野球に取り組む姿勢が違うってことなんだ」(週刊宝石85年12月13日号)

「原とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」

 一方で、落合は、原が毎年30本塁打をクリアしながらも、「ボールを怖がる」とか「チャンスに弱い」とマスコミから叩かれていると、「ボールを怖がる野球選手はなにも原だけじゃないわけよ。オレ自身も怖い。ジャイアンツのゲームは、ほぼ全試合テレビ中継されるし、スポーツ紙の記事の量も多い。つまり、原の場合、それだけ目立つわけ」と擁護し、背番号8が左手首を骨折した際にはこんなオレ流エールを送っている。

【次ページ】 「原とオレで釣り合うかって?(ニヤリ)」

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