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「お前をつぶしてまで甲子園に行きたくない」1大会で772球、済美・安樂智大に故・上甲正典監督が語っていた思い「僕が監督でも絶対、投げさせます」
posted2023/07/19 11:01
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
愛媛の地から宇和島東、済美をセンバツ優勝に導いた故・上甲正典。豪快にして繊細。称賛もあれば批判もある名将の実像を、宿敵・馬淵史郎(明徳義塾監督)と教え子の長瀧剛(宇和島東監督)、安樂智大(楽天)が振り返る――。
Number1056号より、[ナンバー・ノンフィクション]今日は良い日だ。上甲正典、情熱の行方 を特別に無料公開します。(全2回の第2回、前編は#1へ。肩書きはすべて掲載当時)
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一緒に夢を追ってくれた
2001年の8月。上甲は宇和島東を離れる。薬局を閉じ、松山の済美の事務職員に採用され、野球部の初代監督に就任した。
新しい働き場での最晩年の薫陶に浴したのが、今季も楽天イーグルスの中継ぎを担う安樂である。2012年から師の死の2014年まで格別なエースとして山の頂をめざした。
上甲監督、どんな人でしたか。
「厳しい方でした。当時は嫌だと思うこともあった。でも一緒に夢を追ってくれたんです。大切にしていただきました」
お前をつぶしてまで甲子園に行きたくない
新入生の秋には背番号1をもらった。忘れがたい思い出は同学年の冬某日、ウォームアップが「あまりできていない」のにいきなり強い球を放った。
「練習がしんどすぎて、ちょっと反発心があったんです」
あとで監督室に呼ばれた。
「お前をつぶしてまで甲子園に行きたくない」。ふいの一言。叱られたはずなのにうれしかった。
「そこまで考えてもらっているのかって。すごく覚えてるんです」
少年であれエースはエースだ。選ばれし者の心がある。大昔に少年であったベテラン監督は、頭ごなしにとがめるのではなしに矜持に働きかけた。
安樂は「センバツの772球」をどうとらえていたのか?
2013年のセンバツ。安樂は大会を通して「772球」を投げた。同年の秋季県大会で右肘を傷めると「登板過多」への批判はいっそうふくらんだ。あれから9年、渦中の本人はどうとらえていたのか。