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「お前をつぶしてまで甲子園に行きたくない」1大会で772球、済美・安樂智大に故・上甲正典監督が語っていた思い「僕が監督でも絶対、投げさせます」 

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藤島大

藤島大Dai Fujishima

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photograph byKatsuro Okazawa/AFLO

posted2023/07/19 11:01

「お前をつぶしてまで甲子園に行きたくない」1大会で772球、済美・安樂智大に故・上甲正典監督が語っていた思い「僕が監督でも絶対、投げさせます」<Number Web> photograph by Katsuro Okazawa/AFLO

2013年センバツ、済美の2年生エースとして772球を投じるも準優勝に終わった安樂智大。決勝は1-17で浦和学院に敗れた

 高校野球は練習と采配のみでは成り立たない。後援者との付き合い。部員の進路や活動費の確保。前線の監督は後方においても活発で細心、なんでもできた。その分、すべてを抱え込んだ。

 馬淵に仮説をぶつけた。上甲監督は豪快というより、むしろ……。

「繊細でしたよ。絶対、豪快じゃない」

 塁間は何m、ボールの直径が何cm、秒数なら0コンマまで、練習中、細かな数字を口にした。理詰めというより不安の除去に近い。自身で隅から隅まで整えて、必要ならギャンブルに打って出る。

亡くなる1週間前に馬淵が見舞いに行くと…

「亡くなる1週間前ですよね。行ったんですよ。松山の病院に」

 ふたりきりになった。

「煙草吸いたい言うわけ。こんなこと話すと病院に叱られますけど、病室の窓開けてね。マイルドセブンの1ミリでした。互いに最後になるとわかってるわけですよ。切り出せない。『よう試合しましたね』。そんな昔話をちらっと」

 40分ほど過ぎた。「帰りますよ。はよ、ようなってくださいよ」。上甲はベッドの脇の椅子に腰かけていた。

「もう顔、見んのですよ」

帰りの高速道、携帯端末が鳴った

 なぜか背を向けて窓を見つめている。だから肩越しに手を振った。

 帰りの高速道、携帯端末が鳴った。

「ありがとう」

 豪快な打線を築いた繊細な人のかすれた声だった。

 安樂が病室を訪ねたのは、最期の日の「2週間前くらい」。別れ際に監督は声帯を精一杯震わせた。いわく。

「こんな場所こんでええから練習しろ」

 後日、もういっぺん面会する。ただし、もはや会話はかなわなかった。

安樂主将が自ら書いた「涙の弔辞」

 葬儀では高校3年の安樂主将が涙の弔辞を読んだ。「夏の甲子園制覇。球速160km。ドラフト1位でのプロ入り」。入学後の監督との約束が胸にあふれた。

【次ページ】 今日は良い日だ

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