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「野村克也さんは“弱者の理論”なんです」「代打でもいいから阪神、来るか?と」通算306本塁打・広澤克実が感謝する“ノムさんの教えと情”

posted2022/11/02 17:24

 
「野村克也さんは“弱者の理論”なんです」「代打でもいいから阪神、来るか?と」通算306本塁打・広澤克実が感謝する“ノムさんの教えと情”<Number Web> photograph by Takao Yamada

1993年、ヤクルトで日本一を経験した際の広澤克実

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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Takao Yamada

2年連続のセ・リーグ優勝を果たしたヤクルトは、“ノムラの遺伝子”が残っているとされる。その野村克也監督との結びつきが強い広澤克実氏(60)に現役当時の思い出、現在少年野球で取り組んでいることを聞いた(全2回の1回目/#2も)


 広澤克実と言えば、筆者など関西の野球ファンには「六甲おろしを歌った元巨人選手」という印象が強い。竹を割ったような快活な野球人だろうと予想していたが、まさにその通りだった。

「中学時代は柔道の方で有名になってしまいましたが、野球もやっていました。普通の軟式野球で、2歳下の荒木大輔さんは調布リトルで活躍しましたが、僕らが生まれ育った茨城では少年硬式野球はなかったんじゃないかなあ。僕が栃木県立小山高校の野球部に入ったときは、100人くらい新入部員がいたそうですが、硬式野球経験者は0人だったそうです」

 インタビューに応じてくれた広澤氏は、懐かしそうに当時を思い出す。高校時代は甲子園出場はなく、明治大学に入学する。有名な島岡吉郎監督の時代だった。

「島岡監督は、皆さんが思っている通りの性格の方です。Wikipediaには、僕が監督用の焚き火と焼き芋の番をしていたと書かれていますが、僕だけじゃなく島岡監督の前では、選手が黒子に徹するような感じだったんです」

 その中で広澤氏は頭角を現す。東京六大学通算18本塁打は、高橋由伸(慶大)23本、田淵幸一(法大)22本、岩見雅暉(慶大 現楽天)21本、岡田彰布(早大)20本、荒川尭(早大)19本、山口高誉(立大)19本に続いて谷沢健一(早大)と並ぶ7位タイだ。

「1年生の時は出場していません。大学野球は春夏合わせ4年で8期あるわけですけど、僕は6期しか試合に出ていない。それに4年生でも調子を崩しましたから、本当はもっと打てたんじゃないかと思います」

主力打者として活躍する中、野村監督体制に

 1984年のドラフトで日本ハム、西武、ヤクルトが1位指名で競合し、ヤクルトに入団が決まる。即戦力と見込まれての入団だった。

「当時、ヤクルトは最下位付近でしたからね、即戦力と言うこともあるでしょうが、世代交代と言う意味もあったんじゃないかな。大杉勝男さんが引退されて1年後に僕が入団した。若松勉さん、杉浦亨さん、八重樫幸雄さん、松岡弘さんも現役でした」

 1年目から110試合に出場して18本塁打を打った広澤氏は、その後も主力打者として活躍するが、1990年に野村克也監督が就任してから全盛期を迎え、打点王のタイトルを2回獲得する。また1986年10月12日から1995年10月8日まで1180試合連続出場を果たす。リーグを代表する強打者になった。

「野村克也さんは“弱者の理論”なんですよ」

 広澤氏はこう続ける。

【次ページ】 野村さんの教えで読みが当たって、野球が面白く

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