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野村克也「私が巨人のキャッチャーなら江川をまずぶん殴る」 まるで“刑事ミステリー”…ノムさんの観察力はやっぱりスゴかった 

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熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/09/14 17:06

野村克也「私が巨人のキャッチャーなら江川をまずぶん殴る」 まるで“刑事ミステリー”…ノムさんの観察力はやっぱりスゴかった<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

南海ホークス時代、1970年に選手兼任監督となった野村克也。80年、45歳のとき西武で現役引退。90年にヤクルト監督となり、阪神、社会人のシダックス、楽天でも監督を務めた

『家は高知で、親は警察官だという。(中略)ちょっと意外な気がした』

 さらに好奇心をかき立てられ、さらに江本の球歴を追ったところ、野村刑事は不平不満の源を突き止める。

 江本は高知商時代、甲子園の選抜出場が決まっていながら、チームに不祥事があって出場を逃している。その後の大学、社会人時代も控え続き――。

『ルーツを知って、私はこの男がなんとなくわかった気がした。なんとしても投げたい時期にそのチャンスが与えられず、欲求不満のかたまりになっていたのである。(中略)不満の出どころがわかってから私は、折あるごとに「南海のエースは江本だ」というようにした』

 こうして自尊心をくすぐることで、江本を独り立ちさせていくのだ。

「私が巨人の捕手なら江川をまずぶん殴る」

 グラウンド上でのプレーは言うに及ばず、生い立ちや日常の言動を徹底して掘り下げるのが野村流。当時は個人情報保護の観点はなく、プロ野球選手名鑑には選手の住所、電話番号が当然のように記載されるおおらかな時代だったが、反面、ウィキペディアのような便利なものもない。野村は自らの鋭い観察眼を働かせるだけでなく、球界の隅々に独自の情報網を張り巡らせることで、必要な情報をキャッチしていたのだ。

 さて、『野村の目』にはマージャンを打つ場面がしばしば出てくる。

 虚々実々の駆け引きが繰り広げられるこのゲームは、“野村刑事”にとってこの上ない人間観察の場となっていたようだ。

 ふたたび江夏とのエピソード。

『江夏は、マージャンでも考えた打ち方をする。彼がリーチをかけたときは、とおりそうに見えるパイほどあぶない。捨てパイの一枚一枚に細かな計算をして、河にいろいろ仕掛けがしてあるからで、マージャンもピッチングとそっくりなのである』

 どういう流れでそうなったのかはわからないが、野村はなぜか、江川卓の父親とも卓を囲んだことがあるそうだ。

《私が巨人の捕手なら江川をまずぶん殴る》と題された文章の最後に、野村はこう書いている。

【次ページ】 「バッティング投手の太りすぎも目についた」

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