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「体罰を容認=83%」12年前に桑田真澄が取ったアンケートの衝撃結果… 秀岳館サッカー部に痛感する“部活と暴力の認識改善” 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/05/02 17:01

「体罰を容認=83%」12年前に桑田真澄が取ったアンケートの衝撃結果… 秀岳館サッカー部に痛感する“部活と暴力の認識改善”<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

2013年、東大野球部にコーチする桑田真澄さん。早大大学院在籍当時、部活の「体罰」についてのアンケートを取っていた

 それによると「指導者から体罰を受けたことがある」は中学で45%、高校で46%。「先輩から体罰を受けたことがある」は中学36%、高校51%。そして体罰について「必要か」、「時には必要か」と問いかけたところ――83%の選手が体罰を容認しているのだ。

 10年以上前の調査ではあるが、たとえ自ら暴力を振るわなくても「スポーツの現場には時には暴力は必要」と圧倒的多数の選手が思っていたことは衝撃的だ。

「スポーツ」と「体育」についてあらためて考えたい

 今回の秀岳館高校でのコーチによる選手への暴力では、この事件が発覚した直後に選手たちがSNSで動画を発信した。選手たちは動画で「学校から帰り、寮の鍵がなかなか開かず感情的になりコーチを馬鹿にするような発言をしたのが今回の原因です」としている。さらにその後の報道によれば、選手は、指導者から暴力沙汰の動画を公開した責任を追及されていたようである。

 追い詰められた選手たちの気持ちを思うと、いたたまれない気持ちになる。少なくとも指導者の「スポーツと暴力」に関する認識は、いまどきのものではなかったと言えるだろう。

「スポーツ」は「健康で文化的な生活をする」という基本的人権の重要な一部をなしている。

「スポーツをすること」は、その人の権利であり、豊かな人生を送るための「自己表現」であり「楽しみ」だ。

 スポーツでは対戦相手と体が触れたり、ぶつかったり、競技によっては組み合ったりするが、それだけに暴力は慎重に取り除かれなければならない。

 日本の「体育」は、戦前の富国強兵政策のもとで発展してきた。戦後もその体質が残っていたが、スポーツのグローバル化が進む中で「暴力との決別」をはっきりと宣言すべき時が来ていると言えるだろう。

「そんな“きれいごと”を言っていても勝てなかったらどうしようもない」と言う人もいるかもしれないが、筆者はスポーツこそ“きれいごと”であり続けてほしいと思っている。<つづく>

#2に続く
「体罰パワハラはブラジルであり得ない」「野蛮なことが日本で…」“秀岳館問題”をサッカー王国から斬る《当地ではセクハラ多発》

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