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中村俊輔を開花させた師との出会い。
プロ1年目、若気の至りを見守られて。

posted2019/06/05 10:30

 
中村俊輔を開花させた師との出会い。プロ1年目、若気の至りを見守られて。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

ルーキー時代の中村。1997年はリーグ戦27試合、5得点で優秀新人賞を受賞した。

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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J.LEAGUE

『Sports Graphic Number』にて2012年5月から始まった連載「中村俊輔のサッカー覚書」は、本誌の特集テーマに沿って語ってもらうことも少なくない。「EURO特集」なら彼の観点からの見どころであったり、「ドーハの悲劇から20年特集」なら彼があの試合で受けた影響であったり。

 難しいお題であっても、キャリアの引き出しから語ってくれる。テーマに対して違う視点から見ようとするのも彼らしい。

「天才? 俺は天才じゃないから天才の人のことは分からないよ」

 Number979号の特集テーマが「日本サッカー天才伝説」だと伝えると、その一言が返ってきた。これはまあ、予想できた答え。思考回路に入れてから、次に出てくる言葉が結構、肝だったりする。待つこと2分……。

「天才の天才っていうのは、なかなかいないんじゃない?」

 担当編集者のほうを見ると「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という顔になっている。
つまりは、インタビューのテーマになるフレーズ。これには補足がいる。天才とは生まれ持っての才能であり、元々備わっているもの。しかしそれを無自覚で伸ばそうとしても限界があるんじゃないかという捉え方だ。

才能を伸ばしたのは「出会い」。

 天性の才能を無意識に開花させた「天才の天才」に、中村は出会っていない。つまりそこに自らコーディネートしていく力があってこそ、才能は開く。そんな中村なりの見解が示されているような気がした。

 ならば、と中村に聞く内容を「才能を自分でどう伸ばしてきたか」に設定した。キーワードとして出たのが「出会い」だった。

 偶然の出会いを、必然の成長とする。

 中村俊輔の原風景を振り返ると、そこが浮かび上がる。本誌では幼少時代に指導を受け、そしてマリノスジュニアユース時代や桐光学園で出会った、それぞれの恩師や当時の環境について語っている。

【次ページ】 マリノス1年目、アスカルゴルタ監督。

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中村俊輔
ハビエル・アスカルゴルタ
横浜F・マリノス

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