Jをめぐる冒険BACK NUMBER
中島翔哉は何故「まじめ」に?
サッカー小僧を変えた'14年の出来事。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/02/07 10:40
中東の大柄な選手に混じると、中島はより小さく見える。しかし、全く足が止まらないその姿は頼もしさの塊だった。
FC東京で出られなくても呼び続けた手倉森監督。
リオ五輪アジア最終予選まで半年を切った昨年の7月以降、代表チームを率いる手倉森誠監督はJリーグでの出場経験を重視し、新メンバーをチームに加えるようになる。
こうしてチームに新たに招集されるようになったのが、東京ヴェルディジュニア時代からの中島の盟友・前田直輝(松本山雅・当時)や鎌田大地(サガン鳥栖)、関根貴大(浦和レッズ)といった選手たちだった。
一方、中島はFC東京でコンスタントに試合に出場しているわけではなかったが、それでも手倉森監督はチームの10番に対し、「翔哉はうちでは活躍してくれている」と、揺るがぬ信頼を示し、招集し続けたのだ。
その頃、中島はこんなことを言っていた。
「あまり試合に出てないのに、テグさんはずっと呼んでくれている。だから最終予選で活躍して五輪に連れていきたいですね。活躍しないと、あの人が文句を言われちゃうから」
なんとも中島らしい感謝の仕方だったが、それから数カ月後、イランとの準々決勝で2ゴールをあげ、言葉どおりの活躍を見せた。
目標にしていた大会MVPも「チーム全員への賞」。
イラン戦で120分間ピッチに立ち続けた中島は、チームがターンオーバー制を採用しているにもかかわらず、イラクとの準決勝、韓国との決勝でも連続してスタメンに指名され、韓国に3-2の逆転勝利を飾ったファイナルの後の表彰式で、大会MVPとしてその名が発表される。
2年前、目標だと強く公言していた大会ベストプレーヤーの勲章を手に入れた――。
しかし、試合後のミックスゾーンで彼は、さほど興味がなさそうに言った。
「チーム全員への賞を、僕が代表してもらった感じです」
自身の成長について訊ねられると、そのブレない気持ちを丁寧な言葉に乗せて、取材陣に届けた。
「まだ(リオ五輪本大会まで)時間が少しあるので、こだわってやっていきたいです。本当に修正と反省の連続だと思います」
サッカー小僧を地で行く彼が追いかける理想の自分は、いつだって現実の自分のはるか先を行っているのだ。