Jをめぐる冒険BACK NUMBER
中島翔哉は何故「まじめ」に?
サッカー小僧を変えた'14年の出来事。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/02/07 10:40
中東の大柄な選手に混じると、中島はより小さく見える。しかし、全く足が止まらないその姿は頼もしさの塊だった。
「いや、あの、僕、誤解されていると思うんです……」
「いや、あの、僕、誤解されていると思うんです……」
中島の話をじっくり聞くことができたのは、アジア大会が終わって1週間ほど経ったFC東京の練習場だった。
「僕は、ただうまくなりたい、もっと上に行きたいっていう気持ちを言葉にしていただけで。それに、多くの人に自分を知ってもらいたいっていう気持ちもあって……」
彼は自らの心情に相応しい表現を探しながら、今度は誤解を招かないように、少しずつ、少しずつ、言葉をつないだ。
「でも、ちょうどあのあと信頼している人から連絡があって。『運や他人ありきで目標を立てるのは、それこそブレてるよ』って言われて、たしかにそうだなって。目標設定の仕方が間違っていたことに気付きました」
これまで彼が口にしてきた優勝や大会得点王、大会のベストプレーヤー、バロンドール受賞といった目標は、チームの総合力、チームメイトのサポート、他人の評価、時の運に大きく左右されるものである。
「今までは、それありきで目標を立てていたんですけど、自分個人として考えた時に、自分の思い描いたプレーをする、どんなときも楽しんでサッカーをする、それを可能にするための実力を付けることが何よりもまず大事なことだって気づいたんです」
他人の評価や結果は、あとから付いてくるもの。だから、まずは自分が本当に納得できるプレーを目指す。自分がイメージする理想の自分を目指す。
そのレベルにいつごろ辿り着けるのかは分からない。いや、理想の自分はいつも上書きされて、はるか先を行くものだから、一生辿り着けるものではないかもしれないが、それを目指し続けることが大切なのだと、中島は学んだ。
それ以降、彼は「自分にとっては、楽しんでサッカーをすることが大事」と繰り返すようになっていった。
ロナウジーニョに憧れた子供時代。
もっとも、自らの目標を語らなくなった中島だが、リオ五輪に出場したいという思いははっきりと口にしていた。子供の頃からロナウジーニョに憧れ、ヨーロッパでプレーすることを夢見ていたし、かつて公言していたように、オリンピックの舞台で活躍して早く海外でプレーしたいという思いもあっただろう。
だが、五輪出場を目指す彼には、もうひとつの思いがあった。