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転職、日本一、世界一。王JAPAN広報の1年半。

2009/03/08

 WBC優勝の歓喜に沸く王JAPANの輪の中に梶原紀章の姿があった。梶原はわずか1年半前は、スポーツ紙記者という取材する立場にあった。

 野球、それもパ・リーグ好きだった梶原は関西大を卒業して、大阪のサンケイスポーツに入社した。日経新聞にも合格したが、野球にかかわりたくて、スポーツ紙を選んだ。入社してまずオリックス番になる。担当した'99、'00年は、イチローが日本でプレーした最後の2年だった。その後、阪神番を4年。18年ぶりの優勝を見届け、お世話になった岡田が一軍監督になったのも担当した。記者として、取材したい場面をほとんど目撃できた。一方で、次の目標が見つからずにいた。

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photograph by Koji Asakura

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