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「不動裕理という壁が常に…」宮里藍が浜ちゃんに明かした“カッチーン事件”の真相とアメリカでの恐怖「完璧主義で、戦い抜いたのはすごいな」《浜田雅功の対談連載》
浜田 会うのはほんまに久しぶりですね。
宮里 20年ぶりくらいですね。
浜田 あのときは、おいくつ?
宮里 まだ二十歳前後でした。
――20年ぶりに再会して、還暦も過ぎた浜田さんの印象はいかがですか。
宮里 20年前と全然お変わりなくて。写真撮影のときに思ったんですけど、浜田さん、いい匂いがします(笑)。
浜田 なんでやねん。藍ちゃんは高校3年のときにプロツアーで初優勝してプロ転向。あの活躍で周りの反応も変わったでしょ。
宮里 クラスメイトとか、みんな驚いてくれました。野球部員に「宮里、お前すげえな」とか言われたり。
浜田 史上初の高校生プロですからね。すごいよ。しかも、プロ1年目で獲得賞金1億円突破。このときは、賞金を足したらいくらになるとか計算してましたか。
宮里 いやいや、全然してなかったです。
浜田 ごめんなさい。関西人の悪いところが出ました(笑)。

宮里 この頃は、「不動裕理」という壁が常に立ち塞がる時代でした。私がどんなに頑張っても、賞金ランク2位って感覚で。
浜田 めっちゃ強かったですもんね。
宮里 リーダーボードに不動さんの名前が載ってくると、みんながプレッシャーを感じて崩れてしまう。
浜田 メンタルも強いんやろうね。
宮里 しかも、ツアー中でもめっちゃ練習されるんです。1位の不動さんが練習しているのに、自分が帰るわけにはいかない。だから、不動さんより5分でも長く練習して、絶対に後から帰るようにしていました。
――プロ2年目の2005年も、5月に2勝。ところが6月の試合後、沖縄で父・優さんとの間で、事件があったそうですね。
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