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「3人の中で一番嫌だった監督は…」“不遇の将”広島・ブラウン&横浜・大矢明彦が回想するセ・リーグ3強時代の“弱者の兵法”「何か意表を突くことをしないと相手の思う壺」
竜虎相搏ち、大男が覇を奪う天下三国の時代。その足元で毎晩のように蹂躙されていた星とコイは「10強2弱」「おそるべき5位6位の帰巣本能」と囃された。やった方は忘れても、やられた方は一生忘れない。広島マーティ・ブラウン。横浜大矢明彦。2人の不遇の将からは、同時代に戦った3人の監督がどのように見えていたのか。
「我々には大きな戦力の差がありました」
「3人とも素晴らしいチームを作り上げた監督でした。彼らとの戦いは常に楽しかったですし、リスペクトしかないですね」
現在はヒューストンで個人の野球塾を開いている元広島監督のブラウンは、ベース投げの奇術師たる激しさも影を潜め、穏やかな笑顔であの時代を振り返る。
「我々には大きな戦力の差がありました。巨人は大型補強とドラフトでの有力選手の獲得で、誰が出ても活躍するような雰囲気があるんです。中日は有能なピッチングスタッフとそれを自前で育てられる強さ。阪神は金本知憲や鳥谷敬ら打の中軸に、JFKという強力なリリーフがいたことで7回までにリードされたら終わりと、カープも戦える戦力はありましたが、及ばなかったということでしょう」
2006年から3年間の対戦成績は、中日を28勝39敗3分と大の苦手とし、阪神には30勝37敗3分でやや苦手。だが、2連覇している巨人には'06年と'08年を勝ち越し、通算でも33勝34敗3分と互角の戦いを演じた。ブラウンは人間的にも原辰徳のことが大好きだ。
「巨人と五分に戦えたのは、選手たちが東京遠征を楽しんで結果を出せたからかも(笑)。まぁそれは冗談で、原さんは英語もできるので、若手の育成状況などをよく話しました。当時の巨人はタレントが豊富に揃い、監督はプレッシャーも大きかったでしょう。それでも選手の特性を理解してうまく使いこなした。特に中継ぎの起用が上手で、先発が完投ペースでも状態を見てリリーフ陣を巧みに使ってゲームを獲る。これは、原さんが選手とのコミュニケーションができていた証でしょうね」
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