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《名門牧場を訪ねて》キセキ、ソウルラッシュ…下河辺牧場が大切にする親子三代の血統哲学「まず1勝。そこから始まるオープン馬」

2025/10/13
牧場の未来を担う1歳馬たち。カメラマンから「何ももらえない」と感付くと、そっぽを向いて去っていった
いまから92年前、馬好きが高じて、馬産の道に進んだひとりの男がいた。その創業者から息子、さらには孫へと、経営は脈々と受け継がれている。古くはラグビーボール、菊花賞馬キセキ、現役ではソウルラッシュなど、途切れることなく名馬が輩出し続ける秘訣を聞きに、北の大地へ渡った。(原題:[親子三代の名門]下河辺牧場「まず1勝。そこから始まるオープン馬」)

 下河辺牧場は日高地方を代表する大牧場のひとつで、この4年、生産者ランキングで4位以内にいる。上には“巨人”社台グループの牧場だけだ。それほど高いレベルで安定した成績をあげている下河辺牧場は現在、父の下河辺俊行が会長となり、長男の行雄と次男の隆行が中心となって運営されているのだが、3人の名刺には役職が記されていない。「肩書きで仕事をしない」ということかもしれないが、「下河辺」という名字がどんな肩書きよりも信用となっているのだろう。わたしはそう思った。

 下河辺牧場の創業は1933年にさかのぼる。創業者は下河辺孫一という。孫一の父健二は日産コンツェルンの重役で、日本鉱業(現ENEOS)の社長だった。しかし、馬が好きだった孫一は企業の経営ではなく、馬産家を志す。東京帝大農学部実科を卒業すると宮内省新冠御料牧場(北海道新冠町)で本格的に馬産を学び、24歳のときに浦河町の牧場を買って競走馬の生産をはじめている。孫一は外国から繁殖牝馬を買い求め、'42年には千葉に育成牧場をつくるなど、当時としては先進的な牧場をめざしていたが、'45年に病気を患って浦河の牧場を手放し、千葉で療養することになった。

 '56年、北海道に戻った孫一は、浦河で牧場を間借りして生産をはじめたが土地が狭く、'66年に門別町(現日高町福満)の土地を買って本格的な生産を開始する。それに合わせて長男の下河辺俊行も牧場で働きだす。大学卒業後、祖父が社長だった日本鉱業に入社した俊行は、将来を約束された会社を辞めて、父を手伝うために北海道にやってきたのだ。さらに弟の行信も千葉の牧場をやることになった。

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photograph by Keiji Ishikawa

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