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「競馬界に英雄がいない時代はあっても、名牝がいない時代はない」スカーレット一族、メジロボサツ系、そして「華麗なる一族」まで【名牝図鑑】

2025/10/11
(上)ダイナカール(ダイナカール系)主な馬:エアグルーヴ、ドゥラメンテ / (下)シラユキヒメ(白毛一族)主な馬:ユキチャン、ソダシ
優秀な牝系はブランド化され、限られた牧場で門外不出となることも。多くの名馬が「一族」から生まれて時代を彩り、次代へとつないできた。今なお残り続ける血筋を祖先へとさかのぼり、名牝誕生の歴史をひも解く。(原題:[名牝図鑑]英雄なくともつながる一族)

 サラブレッドの世界で「一族」や「血族」というのは、父系ではなく牝系(母系)のつながりを指す。「近親」もしかり。「きょうだい」は母が同じ場合にのみ使う。

 と「競馬用語辞典」のような書き出しになったが、牝系は牧場で維持され、種牡馬の種を植えつけられることから、よく畑にたとえられる。その血が門外不出になると他の馬主や生産者が羨むブランドになり、「○○一族」と命名される。

 日本で初めてブランドとして広く認知された一族は、1957年にイギリスから輸入されたマイリーを「牝祖」とする「華麗なる一族」だろう。一族の血は浦河の荻伏牧場でつながれていく。マイリーの娘キユーピツトはヤマピットとミスマルミチという2頭の牝馬を産んだ。ヤマピットはオークスを勝ち、一族に初めてクラシックの栄冠をもたらしたが、繁殖入りして1頭を産んだだけで急死する。血をつないだのは妹のミスマルミチで、その娘イットーは、重賞を2勝するなど競走馬として活躍したばかりでなく、繁殖牝馬として一族を大きく発展させる「中興の祖」となる。'74年にドラマ化された山崎豊子の『華麗なる一族』に重ね、この一族がそう呼ばれるようになったのはイットーが活躍した頃からだ。

ハギノトップレディ(華麗なる一族)主な馬:ハギノカムイオー、ダイイチルビー JRA
ハギノトップレディ(華麗なる一族)主な馬:ハギノカムイオー、ダイイチルビー JRA

 イットーの初仔ハギノトップレディは僅か2戦のキャリアで桜花賞を制し、エリザベス女王杯も優勝。一族の価値と注目度をさらに高めた。3番仔のハギノカムイオーが生まれるときは、競馬週刊誌に依頼された写真家が「お坊っちゃま」の出産シーンを撮影するため張りついたほどの騒がれ方だった。同馬は当時のセリの史上最高価格となる1億8500万円で落札される。

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photograph by AFLO / Seiji Sakaguchi

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