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《独占告白》「もっと強く、もっと遠くへ」王貞治が語る“45度の世界”とホームランの真髄「大谷君には野球に集中させてあげたい」

2025/09/10
「ホームラン」という響きに誰よりも魅せられたのは、幾多の選手でもファンでもなく、この男だった。フェンスを越えようと打撃を極め、人生を切り拓いてきた。アーチの喜びや素晴らしさを未来に繋ぐべく大いに語った。(原題:[巻頭インタビュー]王貞治「もっと強く、もっと遠くへ」)

 東京の下町の公園が世界のホームラン王の出発点だった。75年前、王貞治は人生で初めてホームランを打った日々のことを記憶の底の底からたぐり寄せた。

「小学校の前の公園だよね。そんなところで打ったんだろうけど、確かに子どものなかでは僕の球は飛んでいたよね」

 東京市向島区(現・東京都墨田区)で生まれ育ち、野球を始めたのが業平小4年の頃である。業平公園で三角ベースボールに興じ、王少年が打った白球は隣り合う業平小の校舎の屋根を何度も越えていった。

「球が強く遠くに飛んで、それはもう気持ちがいいものでね。良いことがあればもう一回、味わいたい。小さい頃だから、なんで打てるのか、理屈なんてわからなかった」

 日本のスラッガーのトップ・オブ・トップはそう語る。野球に情熱を注ぐなかで、「もっと強く、もっと遠く」は人生を懸けて追い求めるロマンになっていった。

「昔は錦糸公園のグラウンドがものすごく広くて、野球場が何面もあったんだ。野球が好きな人が見に来て応援してくれて『ヨシ、頑張ろう』って気になったんだよね」

 王少年は本所中では草野球チームに入り、錦糸公園に通った。右打ちから左打ちに変えたのは隅田公園でプレーしているときだった。散歩で通りかかった毎日(現ロッテ)の荒川博に声をかけられたのだ。思う存分、ボールを投げてバットを振れる場所に恵まれたことは王少年にとって幸運だった。

「子どもたちが野球を楽しめる環境がなくなっている」

 王は85歳になったいま、野球界を未来に繋ぐ新たな活動を行っている。ソフトバンクの球団会長として後進のプレーを見守る一方、今年5月に設立された一般財団法人球心会の代表として野球振興に携わる。

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photograph by Takuya Sugiyama / Kazuo Tokura

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