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<比類なきハングリーキング> 王貞治「1000本いけた、という思いもある」

2020/04/06
日本一になったのは、33歳のときだった。世界一になったのは、37歳のときだった。

それからおよそ3年と1カ月もの間、成し遂げた偉業を振り返ることもなく孤独なひとり旅と向き合い続けた先に868本という空前絶後の記録は生まれた。

選手として、監督として、会長として、どんな立場でもトップを追い求めてきた世界のホームラン王の名は、今もあらゆる記録の頂点に燦然と輝いている。

己と戦い、ナンバーワンを生きた男が明かす、執念にも似た本塁打へのこだわりと「1」という数字に対するプライド、その哲学を支える遠い血の源流。そして、80歳を目前にしてもなお胸の奥に抱えているという後悔とは。(Number1000号掲載)

 会長室の重々しいドアがガチャリと開いて王貞治が現れた。背筋がピンとなる。

 これほどナンバーワンが似合う人はそうはいない。何しろ明快だ。868本。誰よりもホームランを打った。世界記録を塗り替えた。数字を当てはめるなら「1」以外にないのだ。世界のホームラン王――。

 ただその揺るぎないパブリックイメージと本人の内心とはかなりギャップがある。

「ホームランを打ったことは打ったけど、それがナンバーワンとか、本人はあまりそういう風には受け止めていないんですよ」

©KYODO
©KYODO

 驚くほどサラッと自身の大記録を話の脇に置いた王は、他者より秀でていたものがあるとすれば……と、こんなことを挙げた。

「1本打ったらもう1本、22年間それをずっと追い求めていけたのは良かったかな。僕はホームランに対して常にハングリーでいられたとは思うんだよ……」

 ところが、そう話しているうちに眉間にシワが寄ってきた。悔しそうな顔だ。

「でもね……、756本を超えてからは、自分に対して不満というか、なんでもっと野球に対する姿勢を貫けなかったのかなという思いがあるんだよ……」

 部屋の空気が少し張り詰めてきた。

756号の後に増えた「雑用」。

 1977年9月3日ヤクルト戦、午後7時10分6秒、後楽園のライトに通算756号を放った。飛ばし屋ハンク・アーロンの持つメジャーリーグ記録を抜いた。自分の前に誰もいなくなった。まさにナンバーワンに立ったそこから、次の1本への執着が薄れていったような気がするという。

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photograph by Naoya Sanuki

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