#1008
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【高校野球】“異端児”ダルビッシュ有が流した「一度きりの涙」とは?《東北高校の先輩が明かす秘話》

2025/08/26
2003年8月23日 決勝 東北 2-4 常総学院 東北は2回に2点を先制。だが今大会で退任する木内幸男監督率いる常総が4回に逆転。8回には追加点を挙げ、常総が悲願の夏初V
理由がなければ練習でも走らない。体が痛ければ、大事な一戦でも降板する。異端の2年生エースは甲子園決勝で、怪我を抱えてなお、時に笑みを浮かべて投げ抜き、敗れ去った。そして、涙とは無縁に思われていたはずの男が、誰よりも泣いていた――。当時の主将と女房役が“生意気だけど、憎めない”後輩ダルビッシュを回想する。(初出:Number1008号 [先輩が明かす異端児の秘話]ダルビッシュ有が流した一度きりの涙。)

 2003年夏、決勝前夜のことだった。

 東北高校の主将、片岡陽太郎はミーティングを終えた後、監督の若生正廣に呼ばれた。部屋を訪れると、こう告げられた。

「有がどうしても投げたいと言っている。明日の先発は有でいこうと思っている」

 片岡はそれを聞いて、少し意外な思いがした。2年生のダルビッシュ有は紛れもなくチームのエースだったが、彼は準々決勝で登板した際、右足のすねを痙攣させ、「過労性骨膜炎」と診断されていた。準決勝もマウンドには上がらなかった。

 何より彼には痛みを押して投げるというイメージがそぐわなかった。

 ダルビッシュが東北高校に入学してきたのは前年の春だった。

 若生は彼が来る前、寮の玄関に全員を集めた。大阪の羽曳野から140kmを投げる投手が入ってくること。日本とイランのハーフであること。そのことで大阪では辛い経験もしてきたことを説明した。

「名前にカタカナが入っているだけで、外国人だとか、差別のようなことは絶対に許さない。みんなと同じなんだ」と若生は言った。「少しでも早く馴染めるようにダルビッシュではなく、有と呼んでやってくれ」。

 入学の日、イラン人の父と校門をくぐってきた彼は飛び抜けて背が高く、目鼻立ちも自分たちとは異なっていた。部内の空気も片岡の胸も妙にざわざわした。

 ただ、いざグラウンドでともに白球を追うと異質なのは外見ではなく、内面だということがわかった。ダルビッシュは若生が命じた練習に対して「何のためにやるんですか?」と問うた。

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photograph by Asahi Shimbun

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