理由がなければ練習でも走らない。体が痛ければ、大事な一戦でも降板する。異端の2年生エースは甲子園決勝で、怪我を抱えてなお、時に笑みを浮かべて投げ抜き、敗れ去った。そして、涙とは無縁に思われていたはずの男が、誰よりも泣いていた――。当時の主将と女房役が“生意気だけど、憎めない”後輩ダルビッシュを回想する。(初出:Number1008号 [先輩が明かす異端児の秘話]ダルビッシュ有が流した一度きりの涙。)
2003年夏、決勝前夜のことだった。
東北高校の主将、片岡陽太郎はミーティングを終えた後、監督の若生正廣に呼ばれた。部屋を訪れると、こう告げられた。
「有がどうしても投げたいと言っている。明日の先発は有でいこうと思っている」
片岡はそれを聞いて、少し意外な思いがした。2年生のダルビッシュ有は紛れもなくチームのエースだったが、彼は準々決勝で登板した際、右足のすねを痙攣させ、「過労性骨膜炎」と診断されていた。準決勝もマウンドには上がらなかった。
何より彼には痛みを押して投げるというイメージがそぐわなかった。
ダルビッシュが東北高校に入学してきたのは前年の春だった。
若生は彼が来る前、寮の玄関に全員を集めた。大阪の羽曳野から140kmを投げる投手が入ってくること。日本とイランのハーフであること。そのことで大阪では辛い経験もしてきたことを説明した。
「名前にカタカナが入っているだけで、外国人だとか、差別のようなことは絶対に許さない。みんなと同じなんだ」と若生は言った。「少しでも早く馴染めるようにダルビッシュではなく、有と呼んでやってくれ」。
入学の日、イラン人の父と校門をくぐってきた彼は飛び抜けて背が高く、目鼻立ちも自分たちとは異なっていた。部内の空気も片岡の胸も妙にざわざわした。
ただ、いざグラウンドでともに白球を追うと異質なのは外見ではなく、内面だということがわかった。ダルビッシュは若生が命じた練習に対して「何のためにやるんですか?」と問うた。
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photograph by Asahi Shimbun
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