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【“昭和100年”の大相撲】大の里は「まだ成長途中」で豊昇龍との“大豊時代”は生まれるか…歴代横綱とその「時代」を考察する

2025/07/04
土俵入りで塩をまく千代の富士 / 昭和31年の名古屋準本場所で大関若乃花(左・当時若ノ花)を下す横綱栃錦
近代相撲の幕開けを告げた「栃若時代」にはじまり、偉大なる綱の主たちはそれぞれの時代を築き上げてきた。“昭和100年”の節目にその歴史を辿り、新たな時代を読む。(原題:[大豊時代は生まれるか]横綱とその「時代」)

 令和7年の今年は昭和で言えば、ちょうど100年になる。相撲協会も財団法人が認可されて100周年。そんな節目の年に8年ぶりとなる日本出身横綱が誕生した。

 入門から所要13場所での横綱昇進は、輪島の21場所を大きく上回り、戦前の羽黒山、照國の16場所をも抜き、史上最速。新入幕から所要9場所も年6場所制となった昭和33年以降、大鵬の11場所を超えて史上1位。負け越しなしで綱を張るのも、昭和33年以降では史上初の快挙。記録尽くめのスピード出世で角界最高位に上り詰めた新横綱大の里だが、恵まれた素質や才能を出し切ったとは言い難く、まだまだ伸びしろは十分。師匠の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)も「一番上に上がりましたけど、まだ成長途中だと思います。これから稽古を積んでいけば、まだまだ強くなると思う」と語るほど。無限の可能性を秘めた第75代横綱は新たな時代に、壮大なスケールの絵図を描こうとしている。

 激動の“昭和100年”を振り返ると、不世出の横綱双葉山が69連勝の金字塔を打ち立てた戦前は、空前の相撲人気に沸いたが、終戦を迎えると旧両国国技館はGHQに接収され、本場所開催地は転々とするなど、国技は存亡の危機に立たされた。

 戦後大相撲の復興はテレビ抜きには語れない。昭和28年2月1日、日本初のテレビ放送が始まり、同年5月の夏場所から大相撲のテレビ中継もスタートした。

 テレビと大相撲は非常に相性がよかった。テレビカメラ1台で土俵上の熱戦は余すことなく、その魅力がお茶の間に伝わったからだ。そこに颯爽と登場したのが栃錦であり、若乃花だった。両雄が繰り出す多彩な技とスピードを駆使した取り口は、これまでの相撲には見られなかったもので、まさにテレビ中継が始まった新時代にマッチした。

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photograph by Bungeishunju / KYODO

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