2022年6月5日は湿気が多く、いわゆる梅雨の季節そのものだった。茨城県阿見町の空は薄い雲に覆われつつ、晴れ間が時折差し込むような天気だったと記憶している。元横綱稀勢の里の二所ノ関親方が広大な土地に創設した二所ノ関部屋の部屋開きが、朝から行われた一日だった。
両国国技館を模した緑色の屋根が象徴的な建物の玄関を入り、右、左へ進むと開放感のある広いスペースにつながる。新築ならではの木のにおいが心地良いフローリングの上で、二所ノ関親方はつぶやいた。
「昇進伝達式をやるなら、ここかな。いつかできたらいいな。できるかな……」
視線を遠くにさせ、晴れ舞台を想像していた。当日の空の色を青空に塗り替えてしまいそうな笑顔が映えていた。「金屏風を置くなら、こっちかなあ」という真剣な表情も印象に残っている。大の里はこの時まだ日体大4年で、部屋としてスカウトにも乗り出していない。当時35歳の若き師匠は、たっぷりと時間をかける覚悟で真っ白なキャンバスに大きな夢を描いていた。「横綱四代」――。初代若乃花、隆の里、稀勢の里、そして大の里。あの日からわずか3年足らずで実現させた壮大なロマンこそが、伝説の系譜に他ならなかった。

横綱が横綱を育て、その横綱がまた横綱を育てる。大相撲の長い歴史の中で最高位に立った力士は75人しかいない。その中で師匠から弟子へと綱が四代にわたってつながった例は「角聖」と称された明治時代の常陸山から栃木山、栃錦、栃ノ海が挙げられるが、極めてまれなケースだ。今回成し遂げられた系譜の先頭は初代若乃花。壮絶な生涯、105kgの軽量ながら相手を豪快に投げ飛ばす取り口、内からにじみ出る激情から「土俵の鬼」と称された。栃錦との「栃若時代」は戦後の完全なる大相撲復興の礎となり、優勝10回を記録した。引退後は二子山部屋の師匠として2横綱2大関を育成し、日本相撲協会理事長を2期4年務めた。親方としても一流だった。
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