米野球殿堂入りが発表された日、イチローはシアトルのTモバイルパークで行われた会見でこう言った。
「初めてクーパーズタウンに行ったのが2001年。その時、その後もなんですけど、いろいろな過去の選手と記録で交わることがあって、彼らが当時使ってきた道具を見てみたいなという。そういう気持ちがすごくありました。博物館に行くといろいろ、ツアーで見られるんですけど、地下で昔の選手の道具が大切に保管されていて、そこに行くのが僕は大好きなんです」

メジャーで鮮烈デビューし、新人王とMVPをダブル受賞したその年、イチローは242安打を放っていた。“シューレス”ジョー・ジャクソンが1911年に記録した新人最多安打233を90年ぶりに塗り替える偉業達成だった。
タイ・カッブが頭脳派なら、ジャクソンは天才
“シューレス”ジョーといえば、1919年のワールドシリーズで起こった「ブラックソックス事件」で八百長にかかわったことで永久追放された選手の一人として名が知られている。だが、全盛期はパワーとスピードと守備力を兼ね備えた万能のスター選手で、八百長事件でジャクソンが裁判所から出てきたときに少年ファンが「嘘だと言ってよ、ジョー!」と叫んだという新聞記事が出て、それが今も語り継がれている。
米専門誌「ベースボール・マガジン」の2016年3月号に掲載されたジャクソン研究の特集記事は「同時代に活躍したタイ・カッブが頭脳派なら、ジャクソンは天才。持って生まれた才能が突出していた」と書いている。永久追放で突然、33歳でキャリアが終わってしまったが、13年間の通算打率3割5分6厘は歴代5位に相当する。スキャンダルが起こるまでは、トップスターでありながら驕ることなく、庶民的な人柄でファンに親しまれていた。永久追放されたことで殿堂入りの資格も得られなかったが、殿堂博物館はその実績をたたえて複数の遺品を収蔵、展示している。
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