大谷翔平が夏の甲子園を戦ったのはたった一戦。2011年、相対した名門・帝京を率いた敵将が、ベンチから目撃した驚愕のプレーをつぶさに語った。
1回戦屈指の好カードは、「3.11」によって一度は幻となった試合だった。
帝京と花巻東は縁があった。話は1989年に遡る。帝京がエース・吉岡雄二を擁して、平成初の夏の甲子園優勝を遂げた、あの年だ。当時の帝京硬式野球部監督で、現在は名誉監督を務める前田三夫が当時を懐かしんだ。
「花巻東から招待試合に呼んでいただいて。確か吉岡が完全試合をやったんです。そんなつながりから、夏のキャンプを花巻球場でやることにしたりね。それからずっと交流があって。佐々木洋監督も若い頃から情熱のある勉強家だな、いいチームを作っているなと感じていました」
大谷翔平という凄い投手がいる――。
噂は前田の耳にも入ってきた。2011年3月19日、練習試合が組まれた。だが対戦は消えた。岩手の被害は甚大だった。
そして迎えた夏の甲子園組み合わせ抽選会。注目校同士のマッチアップが決まると、場内からは大きなどよめきが起こった。
8月7日、13時16分プレーボール。観衆4万4000人。
幻は、最高の舞台で現実になった。
待望の全国デビュー。だがまっさらなマウンドに、大谷はいなかった。当時の紙面には「岩手大会2週間前に左太もも裏を肉離れ」とある。後に検査の結果、骨端線損傷と判明するのだが、岩手大会では1回2/3を投げたのみ。2年夏の大谷は相手だけでなく、痛みとも闘っていた。
初の甲子園は「3番・右翼」でのスタメン。2年生左腕の小原大樹が先発した。
前田の脳裏から消えない衝撃がある。
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