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「『まだ生きて』ってお願いするしかなかった」ミルコ・デムーロが愛したドゥラメンテは「天才」で「バケモノ」

2023/05/19
2015年の日本ダービーを制したドゥラメンテと鞍上のミルコ・デムーロ
赤褐色の力強い優駿は、鞍上のイタリアンとともに偉大な父のレースレコードを11年ぶりに書き換えた。数々の逸話に溢れるバケモノのような強さと、それを生み出した血脈を関係者の証言で振り返る。

 熱風薫る芝と碧空の間を、赤褐色の筋肉が駆け抜けた。馬上のイタリアンが、疱疹で腫らした唇を開く。'15年5月末日、血湧き肉躍る第82回日本ダービー。最高気温30度超の東京府中市に、その怪物は君臨した。ドゥラメンテ。名の由来はイタリアの音楽用語で「荒々しく、はっきりと」。彼の蹄跡を予見していたのかもしれない。

 若枝のように浮き上がった血管には、半世紀以上もの日本競馬史が流れていた。牝系を遡れば、5代母に'59年生まれのパロクサイドの名がある。社台グループ創業者の吉田善哉が購入した英国産馬を起源に、歴代のリーディング種牡馬が配合されてきた。ガーサント産駒の4代母シャダイフェザー、ノーザンテースト産駒の3代母ダイナカール、トニービン産駒の祖母エアグルーヴ、サンデーサイレンス産駒の母アドマイヤグルーヴ。そして生まれたのが鹿毛のキングカメハメハ産駒だった。

 ローマ出身の騎手ミルコ・デムーロは、その荒ぶる優駿に「バケモノ」という日本語を教わった。出逢いは皐月賞3日前の美浦トレーニングセンター。JRAの通年免許を得て日本へ移籍した翌月だった。異変が起きたのは、調教へ向かう地下道の上り坂だ。なぜか急に後ずさりを始めた。止まらない。そのままバックステップで100mほど駆け下りたという。

「坂の真ん中まで来て、急にギアがバックに入った。速かったよ。下りをバックできるなんて天才。『バケモノ』だった」

Yoshiharu Hatanaka
Yoshiharu Hatanaka

 思わぬ挙動に対処すべく、(あぶみ)の位置を爪先から土踏まずへ変えた。「すごく難しい馬」という第一印象は、'03年のクラシック二冠馬ネオユニヴァースを思い出させた。再び坂を上がってウッドチップの周回コースへ入ると、次の驚異が待っていた。

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photograph by Masumi Seki/Studio Leaves

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