2003年12月28日。のちに、“前期M-1史上一番の激闘”と言われる戦いの幕が切って落とされた。フットボールアワー、笑い飯、そしてアンタッチャブル――。頂上決戦を繰り広げる漫才師と、一喜一憂する関係者たち。現場にいた作家が、19年前の彼らの“熱”をここに記す。
当時の有明は、建設予定地に繁った背の高い雑草が目立つ殺風景な場所だった。
ところが12月28日の夜、M-1グランプリ2003が開催された「パナソニックセンター有明スタジオ」だけは様相が違っていた。総ガラス張りの建物は光彩ばかりか、ただならぬ熱気を放っている。
会場に入ると正面に市松模様のステージ、右に司会者台が置かれ今田耕司、西川きよし、小池栄子が進行台本をめくっていた。
放送開始まであと20分ほどしかない。
当時、私は「大阪の笑い」をテーマにした書籍を執筆するため取材を続けていた。プロダクションのスタッフだけでなく、若手芸人の舞台に接し、彼らの生の声にも耳を傾けている。M-1は既に、お笑い界最大のイベントとして存在感を増しており、ぜひとも取材したいイベントだった。
下馬評では、本命にフットボールアワーを推す声が多かった。彼らは第1回から連続出場を果たし、6位、準優勝とステップアップしている。'03年は優勝を誓って話芸を磨いた一年となった。劇場では先輩たちを押しのけて爆笑を独占し、M-1予選の3回戦、準決勝とも独走といっていい出来ばえだった。吉本幹部や劇場関係者も「眼の色が違ってきた」「若手で一番のしゃべくり漫才」と太鼓判を押している。
フットの岩尾望に直前の心境を尋ねたら、彼は飄々と答えてくれた。
「僕が理想とするオモロイ漫才に、今はちょっと近づいてきたと思います」
後藤輝基は歯切れがいい。
「狙うところは一つなんですし、そこを目指して漫才をやるしかないです」
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photograph by M-1 GRANDPRIX