#1055

記事を
ブックマークする

葛西紀明――今も写真で思い出す24年前、長野の屈辱。

2022/07/27
ノーマルヒル後の会見で冴えない表情を浮かべる葛西(中央)
第一線で活躍するアスリートは、敗戦から何を学ぶのか――。いまなお現役、50歳となったスキージャンプのレジェンドが、「執念深いんですよ」と笑顔で挙げたのは'98年長野五輪だった。

【Defeated Game】
1998年2月11日 長野五輪
スキージャンプ 個人ノーマルヒル 7位

   ◇

 スキージャンプの世界で葛西紀明の名を知らない者などいない。1992年アルベールビルから冬季オリンピック8大会連続出場、ジャンプワールドカップ通算569度の個人出場はいずれも“最長不倒”のギネス記録として認定されている。

 今年6月で50歳になった彼は先の北京オリンピックで金、銀と2つのメダルを獲得した小林陵侑の師匠として知られる一方、今なお現役バリバリのジャンパー。日本が誇るカミカゼは、世界のレジェンドだ。

 その40年以上のキャリアで「飛び抜けて悔しい経験」と語るのが'98年の長野オリンピックである。団体戦のメンバーに選ばれず、日の丸飛行隊の金メダルを会場で見届けなければならなかった屈辱。直前のケガ、納得いかなかった選考方式……24年経とうとも、鮮度を落とすことなく心のなかに深く刻み込まれていた。

「長野五輪シーズンのジャンプ週間(年末年始にかけてドイツ、オーストリアで集中開催)に入って、足首を捻挫してしまったんですよ。元日の試合は足が腫れ過ぎて出られなかった。ただ、どうしても4日のインスブルックでは飛びたかった。トレーナーにアイシングやテーピングをしてもらって、無理を押して出ました。飛ばずに日本に帰国して治療に専念していたら長野の本番までに完治していたと思うんですけど」

 絶対に飛ぶ、と決めていた。その日は前年に亡くなった母親の誕生日だった。毎年いい結果を残すことがプレゼント代わりだった。天国に旅立った母にどうしても自分の活躍を届けたかった。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by KYODO

0

0

0

前記事 次記事