#1052
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[育成計画の内実に迫る]大いなる雌伏――未完の怪物が覚醒するまで

2022/06/02
入寮時、大船渡高の仲間からの寄せ書きを持って
163kmという球速、甲子園予選決勝の登板回避で注目を集めた大器は、ロッテ入団から1年半、己の身体と向き合い、表舞台から遠ざかった。球団と首脳陣の育成計画、その意外な“核心”は何だったのか。

 佐々木朗希が、遠目で佐々木朗希と分からなかった時が一度だけある。2021年1月末、沖縄・石垣市中央運動公園の第2野球場。牛や野鳥の声をBGMに投げる、背の高い選手が100m先に見えた。黒と赤、シックな出で立ち。たぶん、彼なんだろう。しかし腕の振りはちょっと違う。

 プロ2年目に向けて、フォーム見直しに着手していた。両足に均等に体重をかけたセットポジションの立ち姿。グラブは顔の正面に構え、オーケストラの指揮者のよう。テークバックは以前より腕を伸ばしつつ大きめに。本人は「常に自分に合ったフォームを模索している段階なので」と話した。

 佐々木はロッテの綿密な育成計画の管理下で着実に成長した――。4月の完全試合を機に、そんなイメージが世に広まっている。計画の中心人物が吉井理人一軍投手コーチ(当時。現投手コーディネーター)だ。日米で通算121勝をマーク。現役引退後は数球団で投手コーチを歴任し、筑波大大学院でも学んでいる。

 その育成プランは他球団と同様にドラフト会議前に本人に示されていた。佐々木は高校時代から、外科のみならず内科的な側面でも体の数値を継続的にチェックしていた。同時期にチームは順天堂大医学部などと提携し、選手の進化を入念に確かめられる環境を整えた。だからこそ、表紙に〈佐々木朗希プログラム〉と書かれた書類に基づく、綿密で厳格な育成計画があったというイメージが浮かぶのだろう。

 だが、どうもそれは少し違うようだ。新聞記者として目の前の事象に追われると見失いがちになるが、過去の吉井の発信を振り返ると、育成計画はあったものの、決して佐々木を縛りつけるものではなかったことがわかる。それを象徴する言葉がある。

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photograph by KYODO

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