11月27日、午後11時5分。小林宏はオリックス・バファローズの敗北を見届けた。二軍監督という立場上、グラウンドではなく自宅のテレビ画面越しということになったが、ゲームセットの後も昂りを抑えることができなかった。
「どちらかが動けば試合が動く。すごく均衡した緊張感のあるゲームでした。とくにお互いのピッチャーがすごかった……」
頭の片隅に自然とあの日がよぎった。
「もう26年前になるんですか……。あの時も本当に毎試合が紙一重でした」
1995年、まだブルーウェーブだったころのオリックスはヤクルトスワローズとの日本シリーズに敗れた。仰木彬のマジックとイチローの天才が、野村克也のID野球に屈した戦いとして知られている。
だが、その敗北の中に1つの勝利があった。それをつかみとったのが小林と中嶋聡のバッテリーだった。
3連敗してもう後がなくなった第4戦は1-1のまま延長戦に入った。オリックスはここで翌日の先発要員とも言われていた小林をリリーフとしてマウンドに送った。
そこから小林が投げた3イニングのなかで、とりわけゲームの流れを左右したのが延長11回1アウト一、二塁でトーマス・オマリーを迎えた場面だった。アメリカ・ニュージャージー出身の助っ人は手のつけられない状態だった。その打席までのシリーズ成績は13打数7安打、打率5割3分8厘、1本塁打。だが、小林はあわやホームランという大ファウルを2発打たれながらも快速球を武器に伍していく。球史に語り継がれる14球の勝負のなか、小林はキャッチャー中嶋のサインに一度も首を振らなかった。理由はいくつかある。
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