怪物を破ったダービーは今も名門を照らす光だ。栄光の瞬間に缶蹴りをしていた少年はやがて、父の跡を継いで牧場主となった。愛馬を送り込む来たる祭典。半世紀分の願いは届くだろうか。
かつて「東京都○○様」という宛名だけで年賀状が届いた国民的アイドルホースがいた。大井競馬場でデビューし、無敗のまま中央入りして皐月賞を制したハイセイコーである。地方出身の「野武士」が中央のエリートたちをなぎ倒す様は痛快で、日本中がその走りに熱狂した。ハイセイコーは10戦全勝という素晴らしい戦績で、1973年5月27日の第40回日本ダービーに臨んだ。単勝1.2倍。支持率は当時のダービー史上最高の66.6%という圧倒的な人気だったが、3着に惜敗した。
「ハイセイコーが負けたダービー」として語り継がれるそのレースを勝ったのは、嶋田功が騎乗したタケホープ。北海道浦河町の名門・谷川牧場の生産馬である。
その谷川牧場が生産したファントムシーフが今年の皐月賞で1番人気に支持され、3着となった。次走は5月28日の日本ダービー。勝てば、タケホープ以来、50年ぶりの生産馬によるダービー制覇となる――。
「勝ったよ! 早くお家に帰りなさい」
50年前のダービー当日。小学3年生だった谷川牧場代表の谷川貴英は、中島牧場の息子の中島雅春ら仲間と一緒に缶蹴りをしていた。すると中島の母親に「貴英ちゃん、勝ったよ! 早くお家に帰りなさい」と言われ、急いで生家の谷川牧場に帰った。
「どうして帰らなきゃならないのか最初はわからなかったのですが、玄関にも居間にも、お祝いのお酒やお花が沢山あったのを覚えています。今もGIを勝ったらみんなで集まって記念撮影をするのですが、昔は寿司屋を呼ぶなど派手にやっていたんです」
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photograph by Takuya Sugiyama