2021年7月6日、片岡篤史はインターネットのニュースサイトでそれを知った。
松坂大輔が現役を引退するという。
「複雑だったよ。俺が彼の人生に何か言う筋合いはないんだけど……、1年目のイメージが強いだけに、良いときの松坂のまま辞めた方がよかったんじゃないかとか、スターにはボロボロになってほしくないとか、彼の進退に関するニュースを見るたびにそう思ってきたから」
郷愁も憧憬も悲哀も等分に入り混じった感情の源泉をたどってみると、やはり初めて遭遇したあの日の松坂があまりに眩しかったからだということになる。
「野球人生で、空振りして良かったなと思ったのは、あの打席だけだから」
1999年4月7日、片岡はデビュー戦を迎えた松坂と対峙した。日本ハムファイターズの主砲は第1打席、2ストライクと追い込まれた。そこからが勝負だった。西武ライオンズの大物ルーキーは怖いもの知らずの直球で勝負してくると読んでいた。
果たして、18歳の松坂はありったけの速球を投げ込んできた。片岡はどんぴしゃりのタイミングで振り出した。しかし、バットは内角高めに浮き上がるようなボールに空を切った。鼻っ柱をこっぱ微塵にしてやろうとフルスイングした片岡は、その勢いで尻もちをついた。そして電光掲示板に表示された155kmを呆然と見上げた。その三振は後に松坂の衝撃的なデビューを象徴するシーンとなった。
「もう20年以上も前のことなのに、松坂が投げたボールの軌道も、空振りして体勢を崩したときの感触も鮮明に覚えている。あの試合の後も俺が真っ直ぐを待っているとわかっていても、松坂は真っ向勝負してきた。高卒1年目なのに、チームを背負っている責任感のようなものを感じた」
「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています