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桑田真澄&阿部慎之助「強い巨人軍の継承者として」~初年度日本一を振り返る~

2021/04/06
原政権1年目、圧巻の船出を支えた2年目の正捕手と復活したベテラン。時を経て再び同じユニフォームに袖を通し、後進を育てる立場となったかつてのバッテリーに宿る、受け継がれるべきジャイアンツの魂とは。

 2002年10月30日、西武ドーム。

 ジャイアンツの3勝で迎えた日本シリーズ第4戦は9回裏、ジャイアンツが6-2とリードしてライオンズの攻撃を迎えていた。44歳、就任1年目の監督、原辰徳がベンチで立ち上がって日本一の胴上げに備える。マウンドには抑えの河原純一がいた。ツーアウトから代打に出たライオンズの柴田博之がセンター前へヒットを放つと、その直後、キャッチャーの阿部慎之助がマウンドへ小走りに駆け寄った。

「日本シリーズで4連勝したとき、最後の場面で僕、試合の途中なのに泣いちゃってね。タイムをかけてマウンド行ったら、元木(大介、現ヘッドコーチ)さんに『お前、何を泣いてんだ、バカヤロウ』って感じで突っ込まれて(笑)。『ちょっと我慢できないんです、すいません』って言ったら、『もうちょいだから、がんばれ』って……そんな一コマがあったのを覚えています」

 サードに入っていた元木大介が右手で、ファーストに入っていた後藤孝志が左手にはめたミットで、立て続けに阿部のヘルメットをはたく。あのときに阿部が流したのは、いったい何の涙だったのだろう。

「いやぁ、とにかく苦しかったですからね。大卒2年目で、たっくさん、わからないことがあって、苦労して、みなさんにボロカスに言われて……そんな中、もう少しで日本一になれるっていうところで、堪えられなくなったんでしょうね」

西武ドームで「最終回、夜空でも見ておいで」

 その少し前、この回を抑えれば日本一という9回裏が始まろうかというところで、もう一人、阿部に声を掛けた男がいた。それが当時、バッテリーコーチを務めていた村田真一だった。阿部がこう続ける。

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photograph by Kiichi Matsumoto
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