10年前、細身の体に3桁の番号を背負っていた育成選手は、年々、逞しさを増し、今やパを代表するエースに成長した。その飽くなき向上心の源とは何か。彼が尊敬してやまない元中日の“精密機械”が、八女での出会いから振り返る。
昨年の11月6日、まだレギュラーシーズンの最中にもかかわらず、ソフトバンクのエース・千賀滉大がいたのは中日対ヤクルトが行われるナゴヤドームだった。
その2日前には球史に残る偉業を成し遂げたばかりだった。ZOZOマリンスタジアムでのロッテ戦で史上151人目の通算1000奪三振を達成した。この節目に855回1/3で到達。これはあの“ドクターK”野茂英雄の871イニングを上回るパ・リーグ最速で、プロ野球歴代2位のスピード記録。田中将大の1042回やダルビッシュ有の1058回2/3、松坂大輔の1070回2/3をも遥かにしのぐ大記録だった。
ペナントレース最終盤。試合日程は変則的だった。チームは翌日も千葉でナイターを戦い、6日朝に飛行機で福岡に戻るスケジュールだった。次戦は9日。そのため、この日は移動休みに設定されていた。
千賀はチームに特別に許可をもらい、羽田空港ではなく東京駅に向かった。チームメイトの石川柊太を伴って、新幹線で名古屋に移動。どうしても駆けつけたかったのは、6日夜に行われた中日ドラゴンズ・吉見一起の引退試合だった。
吉見の現役最後のマウンドを見守った
「前日にいきなり『行きます』って連絡があったんです。じゃチケット渡すからと返したら、『ちゃんと用意しています』って」
そう述懐するのは、吉見だ。
千賀は吉見の現役最後のマウンドを、石川と一緒に客席から中日のレプリカユニフォームに袖を通して見守った。
試合後にダグアウトの裏側で大野雄大も交えて、4人で30分ほど話し込んだという。
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photograph by Nanae Suzuki