#995
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<平成の怪物インタビュー> 国見・平山相太「18歳の僕へ」

2020/01/17
相手がヘディングしようとするボールを胸でトラップし、繊細なタッチでゴールネットを揺らす。まさに“怪物”。ところが高校時代の彼は、自信がなかったのだと言う。指導者を目指す今、当時の自分にかけたい言葉とは?(Number995号掲載)

 選手権において初めて国立競技場のピッチに立ち、初ゴールまで決めた1年時の鹿児島実業戦でもなければ、自らの2ゴールでチームに栄冠をもたらした3年時の筑陽学園戦でもなかった。

 平山相太が選手権における最も印象的なゲームとして挙げたのは、自身の無力を突きつけられた一戦だった。

「市船戦ですね。2年のときの決勝の。あれが選手権で負けた唯一の試合なので」

 1学年上の大久保裕樹、小宮山尊信、青木良太、さらに同学年でライバルと認める増嶋竜也――のちに全員がJリーガーとなる市立船橋の守備陣を前に、大会得点王の2年生エースは沈黙し、国見は戦後初となる3連覇の夢を絶たれた。

「ディフェンスの4枚はみんな競り合いに強かったし、中盤のプレスバックも凄くて。自分は何もさせてもらえなかった」

 優勝するのが当たり前――。

 そんな常勝軍団に身を置くと、喜びよりも悔しさのほうが深く刻まれるのかもしれない。一方で、自身の不出来を鮮明に覚えている点に、平山の性格も表れている。

高校サッカー界の中心・国見。

 もっとも、忘れ得ぬ記憶は、ロッカールームの光景とセットになっている。

 泣きじゃくる3年生を横目に、総監督の小嶺忠敏とコーチが何やら話し込んでいた。

「長崎までマイクロバスで帰るんですけど、その途中で1、2年生は練習試合を転戦するんです。そのチーム分けをしていた。もう次の戦いに目を向けていて、勝負への情熱が凄いなって(笑)」

 2000年代前半、高校サッカー界は長崎の国見を中心に回っていた。

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photograph by Kiichi Matsumoto/Masaaki Kato
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