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「監督、松井くんの背番号ですが」スポーツ紙担当キャップは長嶋茂雄に恐る恐る提案した…巨人軍・背番号3と伝承の物語《松井秀喜「55」誕生秘話》

2025/07/25
自らクジを引き当てた愛弟子の大事な船出。だが、背番号についての指揮官の反応は淡白だった。真意を解するのは、それから7年後のこと。当時番記者を務めた筆者が、その背景を述懐する。(原題:[師から弟子へ]松井秀喜「背に込めた強い自負」)

 その言葉をちょっと軽く受け止めすぎていたのかもしれない。

 1992年11月21日のドラフト会議。13年ぶりに巨人の監督に復帰した長嶋茂雄さんは、4球団競合の末、星稜高校・松井秀喜内野手の交渉権を獲得した。

「(クジを)オープンしまして、思わず嬉しくなって……幸運でした」

 当たりくじを確認しても、長嶋さんは派手なガッツポーズなどしなかった。右手の親指を軽く立てるサムズアップで、ミスターらしく小粋に喜びを表現してみせた。

 それから数日後のことである。

 当時、巨人系列スポーツ紙の巨人担当キャップをしていた筆者は、ある思惑を胸に長嶋さんの前に立っていた。松井さんの背番号を「55」番にしてもらい、それを紙面で書かせてもらえないかというお願いをするためだった。

 もちろん55番という数字にはそれなりの意味があった。高卒のホームランバッターの松井さんには、巨人の先輩である王貞治さん(現ソフトバンク球団会長)が持っていた当時のシーズン最多本塁打記録55本を目標にして欲しいという願いを込めて。また当時、筆者が仲の良かった台湾出身の中日・郭源治投手から、中華圏ではゾロ目が縁起がいいという話を聞いていた。

「監督、松井くんの背番号ですが、55番というのはどうでしょうか?」

 恐る恐る切り出す。すると長嶋さんは理由も聞かず拍子抜けするほどあっさり、その提案を了承してくれたのである。

「ああ、背番号ね。何番でもいいですよ。それが松井の番号というのを作ればいいんだから」

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photograph by JIJI PRESS

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