昭和55年度生まれの彼らは、今年で37歳を迎える。現役選手19人に対し、第二の人生を歩むのは74人。大学から自由獲得枠でプロ入りした3人の男たちは、新たな環境の中で、野球人生をいかに振り返るか。
川内高校のエースだった木佐貫洋は甲子園に行けなかった。3年夏の鹿児島県大会決勝で、杉内俊哉を擁する鹿児島実業に惜敗。だから、その鹿実に完勝し春夏連覇をも達成した横浜高校の松坂大輔は、とてつもなく遠い存在だった。
亜細亜大学に進学すると、同期に小山良男がいた。横浜で松坂の球を受けてきたキャッチャーだ。木佐貫は衝動に駆られた。
「彼に受けてもらってる時に『松坂と比べてどう?』って聞きたかったんです。でも、それもおこがましいなって」
亜大時代の木佐貫は肩肘の故障を繰り返し、3年のシーズンを終えた時点で2勝しかできずにいた。学生野球雑誌や春秋のリーグ開幕前に出る『神宮球場ガイドブック』ではスター選手たちの特集記事が組まれていたが、木佐貫はずっと読者の側だった。
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photograph by Tadashi Shirasawa