#846
巻頭特集

記事を
ブックマークする

<マオとヨナの最終章> 彼女が私を、強くした。

バンクーバー五輪の翌月に行なわれた世界選手権では、真央がヨナを抑えて優勝。
2人の“天才少女”が出会ってから、10年が経つ。
どちらも順風満帆だったわけではない。それでも、
視線の先に互いの姿があったから、走り続けてこられた。
彼女たちの紡いできた物語とは――。

 一体、誰が忘れることなどできるだろう?

 フィギュアスケートでは、今でも人々に語り継がれる偉大なライバル関係とその逸話がいくつも残されてきた。

 例えば'88年カルガリー五輪。

 米国のブライアン・ボイタノとカナダのブライアン・オーサーが金メダルを競り合った男子の「ブライアンの戦い」。女子では、東ドイツのカタリナ・ヴィットと米国のデビー・トーマスが繰り広げた「カルメンの戦い」があった。

 あるいはアレクセイ・ヤグディンとエフゲニー・プルシェンコのように、どちらも同じロシア人だったこともある。イリーナ・スルツカヤとミシェル・クワンの、勝ったり負けたりだった友好的なライバル関係もよく知られている。

 浅田真央とキム・ヨナのライバル物語は疑いようもなく、これらの過去の偉大なストーリーに連なるレベルのものだ。2人の抜きん出た才能を持つ選手が、たまたま同じ時期に国際試合の舞台に登場したのは、奇跡のようでもあり、また運命のようなものなのかもしれない。

'04年秋、真央は美しく、ヨナは予想外の勝利を飾った。

 始まりは、'04年秋のことだ。この年、浅田真央もキム・ヨナも、13歳でジュニアグランプリシリーズに初参戦した。ヨナは9月5日生まれ、真央は9月25日生まれと、年齢までほとんど同じだった。

 真央の初戦は、カリフォルニアのロングビーチで行なわれた。私が彼女の試合を見たのはそれが初めてのことだった。注目された3アクセルこそ回転不足だったが、真央は美しい演技を滑りきってみせた。一方、ヨナはブダペストの大会が初戦だった。2人ともそれぞれの試合で圧勝。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Takao Fujita

0

0

0

前記事 次記事