灼熱のドーハの地で、超過密日程のなか、満身創痍の36歳は
最後まで仲間を鼓舞し、ピッチ上で戦い続けた。そこまで彼を
駆り立てたものは何だったのか。20年が経った今、真相を語る。
都内の一角に、洒落たブラジル料理のレストランがある。入口のドアを開けると、額縁に入った日本代表のユニホームが目に飛び込んでくる。「10」の上をなぞる「RAMOS」の文字。あの日、ドーハで力なく座り込んだ傷だらけの司令塔を写した写真の光景が、思わず甦ってくる。
昼下がりのまばゆい光が差し込む店内に、56歳のラモス瑠偉が待っていた。トレードマークの長髪、細身のシルエット……その姿は20年前とちっとも変わらない。隣には、灼熱のピッチを鬼の形相で駆けるラモスの写真が飾ってあった。それと比べて違うのは、随分と柔らかくなった表情だろうか。
インタビューの趣旨を説明すると、彼はフッと笑った。
「もう20年か……そりゃ年も取るよ。でもあっという間。先月のことのように覚えてる」
ドーハの思い出の詰まった店内で、ラモスはいつまでも新鮮さを失わないあのときのことを、ゆっくりと語り始めていく――。
悪質なファウルを受けて敗戦した屈辱のイラン戦。
灼熱のドーハ。
この年に開幕したJリーグは水曜と土曜の週2開催、そのうえ代表の強化合宿までパンパンにつまった超過密スケジュールをこなし、36歳のラモスはドーハまで辿り着いた。動きやすい体にするため、敢えて食事の量を増やさないようにするなど、コンディションには細心の注意を払っていた。
初戦のサウジアラビア戦に引き分けて臨んだイラン戦。前半15分、徹底的にマークされたラモスは背後から容赦ないタックルを食らい、ピッチに倒れ込む。大ケガになってもおかしくないほどの悪質なファウル。それでも彼は簡単な処置を終えてピッチに戻っていく。最終予選に懸ける彼の思いが、痛みを封じ込めるように。しかしラモスの奮闘むなしく、勝たなければならない試合を落としてしまう。
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