蘇ったのは、生まれ育った福岡の地でのことだった。
「自分を変えるためには、横浜を出た方がいい」と考えた村田修一は'10年オフ、ソフトバンクへのFA移籍を考えた。だが、当時4歳の長男には持病があり、かかりつけの医師のことを考えれば関東を離れることはできないと、横浜残留を決めた。昨オフ、第2回WBC以来、バッティングを評価してくれていた原辰徳監督たっての願いもあり、FA移籍を決断し、巨人のユニフォームを着た。ところが、開幕からチームは低迷し、5月1日から4番を任されていた村田も、その責任を背負い込んでいた。
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photograph by KYODO