#783
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<特別インタビュー> 鈴木隆行 「5カ国10クラブを渡り歩く男の哲学。」

2011/07/29
プレーした国は日本、ブラジル、ベルギー、セルビア、そしてアメリカ。
類を見ない経歴を持つ男は、何を求めて世界を彷徨したのか。
その人生観と信念を語った。

 2011年3月11日。その日、多くの人々がそうだったように、鈴木隆行の運命も激流にのみ込まれた。昨秋、3シーズン所属した北中米リーグのポートランド・ティンバースで引退を決意し、チームから持ちかけられたコーチ就任の話を受けようとしていた矢先、未曾有の大震災に遭う。交渉の途中、アメリカから一時帰国した翌日のことだった。

 妻と1歳の愛娘を連れ、都内に買い物に出掛けていたとき、尋常ではない揺れを感じた。すぐに車に飛び乗り、自宅へと向かったが、その間も余震は続き、ビルとビルの合間を走り抜けながら恐怖を覚えた。道の両脇には人が溢れかえっている。とんでもないことが起きているという感覚に身の毛がよだった。

 茨城県日立市にある実家はしばらく音信不通となり、数日後に無事が確認できたが、地元が被った痛手は計り知れないものだった。おびただしい数の家屋が倒壊し、地盤は液状化に見舞われ、極度の物資不足も続いた。徐々に明るみに出る震災の爪跡を目の当たりにすると、アメリカに戻る気力も消え失せた。代わりに、ボランティアとして被災地に向かおうとも考えたが、不安そうな妻と幼い長女を置いてもいけない。常々、自分はいざというときに行動できる人間だと思っていた。それが家族を守る以外に何もできない。無力感に絶望し、そんな自分が無性に腹立たしかった。

「正直、サッカーはしたい。ついていけなければ、すっぱり止めよう」

2001年のJリーグ・ゼロックススーパーカップ決勝。清水エスパルス・三都主アレサンドロのチャージを受ける

 1カ月近くを家の中で悶々と過ごしていると、水戸ホーリーホックの話を耳にした。もともと経営が不安定だとは聞いていたが、震災の影響でさらに状況が悪化しているという。これだと思った。筋を通すのであれば、同じく被災した古巣の鹿島アントラーズに協力すべきだ。しかし、鹿島自体は安定したクラブであり、自分の力で何か大きく変えられるとは想像できない。反面、生まれ故郷に近く、規模の小さい水戸には何か手助けできることがあるかもしれない。

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photograph by Takashi Iga

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