< 記事に戻る 「悲劇の主人公のような扱いは嫌でした」箱根駅伝2区で大ブレーキ、櫛部静二が明かすアクシデントの“その後”「自分のために走ろうと決めた」 1992年の全日本大学駅伝でアンカーを務め、早大の優勝に貢献した櫛部 ©JIJI PRESS この記事を読む