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植村直己、星野道夫と“同じ”43歳で遭難…「引退」した世界的登山家は“山のない日々”をどう過ごすのか

1997年のデナリ(マッキンリー)で栗秋が自身で撮影した写真 / photograph by Masatoshi Kuriaki 2016年に栗秋が人生で初めて“遭難”したハンター(4442m) ©Getty Images 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2007年フォレイカーで栗秋が撮影した写真。最終キャンプ上のナイフリッジ。左端の稜線付近が登頂日のビバーク地点だという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したフォレイカーのオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 「ピアノが山へ行けない時間を埋めてくれました」と語った栗秋 ©Kei Nakamura 右手人差し指は第一関節から先がない。大学4年のとき、バイク清掃中に、チェーンに巻き込まれた。今も血行は戻らず、「この指だけ寒さに弱い。なので、この指で寒さを感じ、凍傷にならないように気をつけていました」と語る ©Kei Nakamura 次女の透子(とうこ)ちゃんと。オーロラの光をイメージして命名したという。長女は蒼子(そうこ)ちゃんで氷河の色をイメージした ©Kei Nakamura 栗秋の自宅玄関の前で ©Kei Nakamura

2007年フォレイカーで栗秋が撮影した写真。最終キャンプ上のナイフリッジ。左端の稜線付近が登頂日のビバーク地点だという ©Masatoshi Kuriaki

1997年のデナリ(マッキンリー)で栗秋が自身で撮影した写真 / photograph by Masatoshi Kuriaki 2016年に栗秋が人生で初めて“遭難”したハンター(4442m) ©Getty Images 1972年8月生まれの栗秋。今回のインタビューは福岡の自宅で行った ©Kei Nakamura 2007年フォレイカーで栗秋が撮影した写真。最終キャンプ上のナイフリッジ。左端の稜線付近が登頂日のビバーク地点だという ©Masatoshi Kuriaki 栗秋が撮影したフォレイカーのオーロラ ©Masatoshi Kuriaki 「ピアノが山へ行けない時間を埋めてくれました」と語った栗秋 ©Kei Nakamura 右手人差し指は第一関節から先がない。大学4年のとき、バイク清掃中に、チェーンに巻き込まれた。今も血行は戻らず、「この指だけ寒さに弱い。なので、この指で寒さを感じ、凍傷にならないように気をつけていました」と語る ©Kei Nakamura 次女の透子(とうこ)ちゃんと。オーロラの光をイメージして命名したという。長女は蒼子(そうこ)ちゃんで氷河の色をイメージした ©Kei Nakamura 栗秋の自宅玄関の前で ©Kei Nakamura

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