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「ここがパパの職場だよ」急逝したロッテ右腕へ...唐川侑己が引退試合で贈ったサプライズ「マウンドの姿が主人と重なって」一周忌前夜の同期秘話
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梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byJIJI PRESS
posted2026/10/10 11:11
ドラフト同期だった唐川と伊藤義弘さん
10月3日引退試合当日を迎えた。再会するまで、唐川は不安だったという。
「快く引き受けてくれたけど、本当に喜んでくれるかなあという心配はあった。子どもたちも野球にあまり興味がなかったら、どうしようとか。会うまでは心配だった」
「ここが頑張って投げていた場所だよ」
試合前練習が終わったタイミングに球場内正面ロビーで再会した。夫人と高校2年生の長男。中学3年生の長女。小学6年生の次男。小学2年生の次女の5人が喜んで駆け寄ってくれた姿がなにより嬉しかった。
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「ここがパパの職場にしていたZOZOマリンスタジアムだよと。現役時代に頑張って投げていた場所だよと。見て欲しかったので、ああやって元気で、嬉しそうな姿を見てこちらも本当に嬉しかった」
そう口にして頬を緩めた。
正面ロビーには引退試合を祝うように様々な選手たちから贈られた花が飾られていた。子どもたちは興味津々に花を覗き込んでいた。「この花言葉はなにかな?」と次男と次女が話し合っている姿を微笑ましく見つめた。
故障、イップス...戦い続けた19年間
マウンドには、そんな伊藤先輩の想いも胸に上がった。平成生まれのピッチャーとしてプロ野球で最初の勝利投手になるなど1年目から5勝を挙げ、2010年には伊藤と一緒に日本シリーズの大舞台も経験した。
4年目の2011年には初の二桁勝利となる12勝をマークした。順風満帆な野球人生と思われがちだが、首のヘルニアに悩まされ肩、肘、脇腹を痛めるなどの故障との戦いの日々でもあった。突然、ストレートが投げられなくなるいわゆるイップス的な症状とも戦った。だから生きるすべとしてカットボールを習得し、それは唐川の代名詞となった。
最後のマウンドもカットボールで勝負し三振を奪うとマウンドを降りた。最後の姿をスタンドで見ていた伊藤の家族は「みんな自然と涙が出た。唐川くんのマウンドに立つ姿を見て主人と重なり大号泣でした」と話をした。背番号「19」が投げているマウンドで伊藤も戦っていた。必死に投げた。いつも全力投球が彼の持ち味だった。07年ドラフト組の最後を唐川が締めた。

