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「この八百長野郎!八百長!」相撲界を去った元横綱が禁句連発…関係者も呆れた問題児・北尾光司と高田延彦「伝説の異種格闘技戦」を生んだ最強説のナゾ
posted2026/09/30 11:02
山崎一夫から4度のダウンを奪いKO勝利した元横綱・双羽黒の北尾光司
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堀江ガンツGantz Horie
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東京スポーツ新聞社
本日発売となった『群像UWF3派 1991-2000 プロレスラーが生んだ総合格闘技の時代』(著:堀江ガンツ/竹書房)より、「1992年 異種格闘技戦史上最高の結末 髙田延彦が北尾をハイキックKO」の章を抜粋して掲載する。史上最高の盛り上がりを見せた異種格闘技戦の知られざる舞台裏とは――。【全3回の初回/第2回、第3回につづく】
◆◆◆
UWF3派分裂後、91年12・22両国国技館で行われた髙田延彦と元プロボクシング世界ヘビー級王者トレバー・バービックの異種格闘技戦で、いよいよその過激な本領を見せ始めたUWFインターナショナル。翌92年3月には、さらなる巨大な爆弾をマット界に投下した。それが、元横綱・双羽黒こと北尾光司の5・8横浜アリーナ大会への参戦発表だ。
「この八百長野郎!八百長!」
北尾は相撲時代、公称身長199センチ、体重160キロの恵まれた肉体を武器に22歳11カ月の若さで横綱に昇進するが、親方と衝突し相撲を廃業。その後はスポーツ冒険家なるタレント期間を経て、1989年に鳴り物入りでプロレス転向を宣言。90年2月10日に新日本プロレスの東京ドーム大会『スーパーファイトin 闘強導夢』でデビューするが、わずか半年で、現場監督の長州力に対して民族差別的な暴言を吐いて解雇されてしまう。
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その後、メガネスーパーに拾われる形でSWSに入団するも、91年4月1日に神戸ワールド記念ホールで行われたジョン・テンタ戦で不可解な反則負けをしでかした後、テンタに対してマイクで「この八百長野郎! 八百長!」とプロレス界の禁句を連呼。さらに控室でも大暴れし、止めに入ったメガネスーパー田中八郎社長夫人に対し「うるせえ、ババア!」と暴言を吐いたことでSWSも契約を解除され、事実上のマット界追放状態にあった。
そんな問題児・北尾を、Uインターが外敵として迎え撃つことを表明すると、賛否両論すさまじいばかりの反響が巻き起こった。北尾と“U”の初遭遇という未知なる興奮に対する賞賛の声と、北尾をリングに上げることへの批判の両方があったが、Uインターに向けられた主な批判は、「なぜ一度ならず二度までも不祥事を起こした北尾に再びチャンスを与えようとするのか」というものだった。
藤原喜明が呆れた“問題児ぶり”
じつは、あまり知られていないことだが、北尾はUインターではなく藤原組のリングに上がる可能性もあった。「八百長野郎」発言でSWSを解雇されたあと、メガネスーパーの田中八郎社長は北尾を関連会社である藤原組に預けることで救済を図ろうとしたのだ。しかし、組長の藤原喜明がこれを断ったため実現にはいたらなかった経緯がある。
藤原はのちにインタビューした際、こう語っている。

