ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「この八百長野郎!八百長!」相撲界を去った元横綱が禁句連発…関係者も呆れた問題児・北尾光司と高田延彦「伝説の異種格闘技戦」を生んだ最強説のナゾ
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2026/09/30 11:02
山崎一夫から4度のダウンを奪いKO勝利した元横綱・双羽黒の北尾光司
「北尾がバカなこと(八百長野郎発言)を言ってSWSをクビになった後、田中社長が北尾を俺のところに連れて来たんだよ。北尾が藤原組来たいってことで、東京駅の前のホテルで会ったんだ。北尾はSWSをクビになって、今度はウチの世話になろうとしてるんだから、普通なら『よろしくお願いします』って言うところだろ。ところがアイツはパソコンかなんかを取り出して、『私はこういう感じでやりたい』とか言い出したんだよ。
『ああ、コイツはダメだ』と思って呆れちゃってね。俺は『社長、僕帰ります』ってそのまま帰っちゃったんだ。そうしたら田中社長が怒ってな、『普通なら君はあの一発でクビだよ』って。『いや、しょうがないです。あれはバカです』って、俺も言ってね。田中さんは北尾をなんとかプロレス界に残そうとしたのに、あいつはそういう厚意を無駄にしたんだ。俺はあんなの使えないよ」
藤原は、団体にとっての大スポンサーである田中社長からの話であっても北尾を預かることは断った。それぐらい手に負えない問題児だったということだ。
“北尾最強説”は確かに存在していた
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では、なぜUインターはあえて、そんな北尾を参戦させようとしたのか。それは北尾が問題児であることは間違いないが、同時に“最強説”も囁かれ続けていたからだ。Uインターの実質的なプロデューサーであった宮戸優光は、自著の中で北尾参戦を決めた経緯をこう記している。
《彼は、常にトラブルを起こして、大相撲も廃業、新日本も解雇、SWSも解雇された。それでいて元横綱という大きな実績は残していた。それこそ相撲は格闘技で一番強いという人もいるぐらいで、どの団体のレスラーも、彼と真っ正面から闘おうとはしなかった。トラブルメーカーだが、元横綱という彼の実力をみんな警戒していたのだと思う。
それなら、そんな彼をUインターのリングに上げたら、どうなるのだろうと私は思った。大相撲のナンバーワンが今、目の前にいて闘えるかもしれない。彼を引っ張り出して「格闘技世界一」を賭ける。私は「これだ!」と思ったのだ。》(『U.W.F.最強の真実』エンターブレイン)
1992年当時は、まだUFCもスタートしておらずバーリ・トゥード(MMA=総合格闘技)が事実上存在していなかった時代。日本における世間一般で通用する「最強」の権威は、ボクシングの世界ヘビー級王者と大相撲の横綱だった。「プロレスこそ最強」を掲げるUインターは、北尾を倒すことで大相撲の横綱という「最強」のイメージを奪おうとしたのである。
また、Uインターは北尾の過去の暴言に対して、当時の会見で次のように見解を示している。
