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高校野球“あの名門公立校”が甲子園から消えた「大の酒好き」「攻めダルマと呼ばれ…」池田高校の名物監督・蔦文也はなぜ“日本中で愛された”のか?―2026上半期読まれた記事
posted2026/09/24 17:00
1982年、夏の甲子園で初優勝を果たし喜ぶ蔦文也監督と池田高校の選手たち
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
AFLO
2026年の期間内(対象:2026年5月~9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。『監督、神になる』部門の第1位は、こちら!(初公開日 2026年7月25日/肩書などはすべて当時)。
今回はその中から、池田高校の栄光時代、そして蔦監督への“ある疑惑”が発覚する場面を紹介する。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
◆◆◆
最初の腹積もりを正直に白状するならば、ライターとしての打算にほかならない。あの「池田高校」を取材して記事にすれば読者は食いつくだろう。そんな打算が8割、純粋な興味は2割ほどであった。
1992年生まれのわたしは「池田の時代」を知らない。わたしにとっての高校野球といえば智弁和歌山であり、横浜であり、大阪桐蔭である。高校野球中継の合間の『白球の記憶』に時折登場する高校、昔は甲子園で勝っていた高校。それが取材をはじめるまえの池田の印象だった。
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しかし、50代以上の人々に聞いてみると、そのほとんどが池田を知っていた。
40年前に世間を熱狂させた野球部の様相、90年代以降に突如として勝てなくなったチームの今などを取り上げれば記事になりそうだ。そう考えていた。
「こんな田舎の公立校が、甲子園で3度も…」
そもそも、池田の企画を編集部に提案しようと思ったきっかけは、2023年冬の私的な旅行にあった。
高知駅から金刀比羅宮に向けて特急「南風」に乗っていた。徳島の西部、吉野川の激流によって刻まれた急峻な渓谷・大歩危小歩危を過ぎて間もなく、特急列車は四方を山に囲まれた小さな駅に停車した。
阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ。スマートフォンで地図アプリを開き、そこに池田高校がたしかに存在することを知った。

