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「じいちゃんに“裏切られた”と感じている人もいる」国民的監督の孫が“驚きの告白”…甲子園から消えた名門・池田高校を率いた蔦文也のナゾ―2026上半期読まれた記事
posted2026/09/24 11:01
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
text by

田中仰Aogu Tanaka
photograph by
JIJI PRESS
2026年の期間内(対象:2026年5月~9月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。『監督、神になる』部門の第2位は、こちら!(初公開日 2026年7月25日/肩書などはすべて当時)。
今回はその中から、池田高校の栄光時代、そして蔦監督への“ある疑惑”が発覚する場面を紹介する。【全3回の2回目/第3回も公開中】※肩書などはすべて取材時のもの
◆◆◆
都内のファミリーレストランに現れた蔦哲一朗は、いかにも豪傑といった祖父とは正反対の風貌であった。前髪は目に掛かるくらいの長さで、細い黒縁のメガネの奥の目は優しげだ。映画監督という職業に似つかわしく、文化的な雰囲気を漂わせていた。
「なぜ今、じいちゃんなんですか?」開口一番、哲一朗はわたしにそう尋ねた。確たる答えを持ち合わせていなかったため、池田をほとんど知らなかったが、昔の人気校で、甲子園から突如消えて、だから興味を持った……そんな漠然とした、体重のかかっていない言葉を並べた。
孫が見た蔦文也「記者の方と一緒にお酒を…」
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アイスブレイクも兼ねて、まずは下調べとドキュメンタリー映画で知り得た池田の情報を、哲一朗に確認していく。
「蔦監督は当時の記者たちから愛されていたみたいですね」
「メディア対応がうまかったんですよね。表に出ることを嫌がらない人だった。記者の方と一緒にお酒を飲んだりして。僕も映画を制作しながら知ったことなんですけど」
哲一朗は1984年、三好郡池田町(現・三好市)に生まれた。物心がつく前に池田の黄金期は去り、蔦も1992年に監督を退任している。
「じいちゃん家の裏にプレハブ小屋みたいな寮があったんですよ。そこに40人くらい野球部員が住んでいました。部員が読み終えたジャンプとかマガジンを、僕が拾って読んでいた記憶はありますね」

