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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園名門“番狂わせ敗退”から1年…浦和学院・森大監督35歳が明かす「父と違って僕にカリスマ性はない」自律か、管理か? 揺れる指導現場
text by

樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph byAsahi Shimbun
posted2026/09/01 11:01
1年前の夏、最強世代の浦和学院は公立校に敗れ甲子園出場を逃した
問題として挙げたのは、挨拶や授業への向き合い方、寮生活など日常の部分だった。野球がうまければいい、試合で結果を出せばいいという甘さが、チームの中に生まれていたという。150キロを投げる投手やプロから注目される選手、全国クラスの打者がそろっていても、それだけで強い組織になるわけではない。個の能力が高い集団だからこそ、「野球で結果を出せばいい」という意識が生まれ、集団として守るべき基準が曖昧になっていた可能性があった。
OBの証言「自律か、管理か?」
似た経験をした浦学OBがいる。2017年に主将を務めた赤岩航輔だ。当時のチームも各地でエースや4番を務めていた選手が集まる個性派ぞろいの世代だった。
「僕らの代は『俺が世界で一番、野球がうまい』くらいに思っているような奴らの集まりでした。謙虚さのかけらもないような代でした。でもそういう選手だったからか、火が付いたときは物凄い力を発揮することもありましたけどね」
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背番号16の主将。試合での役割は主に、サードコーチャーだった。秋は県大会で結果を残し、春も優勝。夏も優勝候補として決勝まで進んだが、花咲徳栄に敗れて甲子園には届かなかった。赤岩は当時について、厳しく管理される中で「バレなければいい」という発想が生まれることもあったと振り返る。大人に言われたからやるだけでは、指導者が見ていない場面で自分自身を律することが難しくなる。敗戦後には「自分たちは勝っちゃいけないチームだったのかな」と考えたという。コーチの今栄の言葉が、ここで重なる。勝った花咲徳栄は、その勢いのまま甲子園で全国制覇を果たした。
赤岩は当時の浦和学院の指導を全面的に否定しているわけではない。25人の仲間が最後まで辞めずにやり切った高校生活について、今でも「浦学でよかった」と話す。管理には管理の強みがあり、自由には自由の価値がある。問題は、どちらか一方を選べば組織がうまくいくという単純な話ではないことだった。同級生の山本晃大は、1浪して野球部から初めて慶応義塾大に合格し、JR東海で活躍している。他の選手たちもそれぞれ立派に社会生活を送っているそうだ。
「この『束になる野球』、あの驚異的な結束力は、間違いなく大将(森士前監督のあだ名)が何十年もかけて作り上げてくれた財産、その賜物だと思っています。あんなに選手と熱く向き合ってくれたからこそ、OBになってもみんなの話が通じるし、結束できるんです」

