甲子園の風BACK NUMBER
「死ぬのが恐しうて…」池田高校の名将が甲子園連覇のウラで“何度も見た”特攻の悪夢…『戦中派』著者が語る、蔦文也が抱えていた“生きづらさ”の正体
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKYODO
posted2026/09/03 11:01
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
それに加え、蔦は「生き残ってしまった」という後ろめたさを抱えながら生きていた。そんな戦中派の心情に、追い打ちをかける言葉を残した人物がいる。雑誌『文藝』(1956年7月号)での「戦前派 戦中派 戦後派」という座談会の中で、「戦後派」の石原慎太郎は《ロクなやつは、みんな戦争で死んじやつたんじやないか。そうでもないロクでもないやつが残つて、戦中派として発言してるんじやないか》と非難した。
田中 こんな発言を公然とするのかと驚きました。ただ重要なのが、発言の内容そのものよりも、戦中派の心情なんですよね。そんなことは言われなくてもわかっている、と。
前田 だと思いますね。面と向かって言うのは石原慎太郎くらいでしょうけどね。別に慎太郎に責められなくても、戦中派自身がそう感じていた。自分たちが戦後復興のために生き残ったとは思えなかった。だからこそ、言われたくない。まして関係ない世代から。
「戦争で生き残ってしまった」という後ろめたさ
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田中 前田さんは、戦中派の吉本隆明さんのエッセイも著書で紹介されていましたよね。《べつに無能力者でもなさそうなのに、一向にふんぎりのつかないようなかっこうで、何のために生きているのだか、仕事しているのだか、結果からみればわからないような生き方をしている三十代の人物に出会ったら、ほとんど例外なく、ことばの真の意味での戦争世代である》。
僕のなかで、この言葉はすごく蔦さんに当てはまった。徳島に帰ると、蔦さんは酒に溺れるわけです。町では“プロ野球くずれ”と囁かれ、高校野球の監督になっても甲子園に出場できない。でも、その2つよりも「戦争で生き残ってしまった」という後ろめたさが大きかったと思うんです。
前田 戦争で命懸けの体験をした人間がもう一度、生きるって難しいと思います。戦争に類するような自分自身をたぎらせる何かがあれば、生き生きと過ごせたのかもしれないですけど。吉本隆明もそうですし、遠藤周作も無気力さを感じていた。彼らは決して戦時中が良かったとは思わない。でも、命懸けの経験をした人は戦後の生活に順応しづらかったのでしょう。《つづく》
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