甲子園の風BACK NUMBER
「どうせ死ぬなら、酒と煙草を知って死のう」甲子園の名将・蔦文也を激変させた“特攻隊の壮絶体験”…生前、旧知の池田高校OBに洩らした「死の恐怖」
posted2026/08/29 11:03
池田高校を率い、3度の甲子園優勝を果たした蔦文也監督
text by

近藤雅人Masahito Kondo
photograph by
Sankei Shimbun
生前の蔦監督と親交が深く、当時の著作の担当編集者でもあった近藤雅人氏が、本作への率直な思いとともに、蔦監督を変えた“壮絶な戦争体験”を明かす。【全3回の初回/第2回、第3回も公開中】
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「攻めダルマ」と称されたずんぐりむっくりの体型と、哀愁を感じさせるロマンスグレー。朴訥な語り口と、どことなく気品を漂わせる彫りの深い顔立ち。眼光鋭く采配を振るった後の、屈託のない酒の飲みっぷり。蔦文也氏はどこかアンバランスな魅力に満ち溢れた人物で、池田高校野球部が甲子園を席巻し始めるや、野球ファンのみならず全国的な人気を集めるようになった。
戦争抜きにして、蔦文也を語ることはできない
今日、我々が知っている蔦文也という人物像の祖型は、毎日新聞記者の津田康氏が昭和51年(1976)に新聞連載したコラム「阿波の坊ちゃん」が描き出したものだ(単行本『蔦文也の旅』=たる出版83年刊=所収)。徳島の素封家の家に生まれ、子供の頃から何不自由なく育った気の優しい坊ちゃん。戦前に甲子園で活躍した野球エリートで、特攻隊の生き残り。戦後はプロ野球に入団するも挫折。郷里に戻って高校の教壇に立つかたわら、野球部の監督を務め、苦節20年かけて甲子園にたどり着いた酒を愛する好人物――津田氏は簡明な筆致で蔦の本質を鮮やかに描き出している。
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蔦文也氏については1970年代から80年代にかけて、数多くの記事や単行本、テレビ番組が編まれたが、津田氏が作り上げた人物祖型を超えるものはなかったように思う。今回『監督、神になる』で著者の田中仰氏は、改めて多方面から周辺取材を積み重ね、多義性に富む蔦文也という人物を浮き彫りにすることに成功している。津田氏とは別の、新たなる蔦文也像が本書からは浮かび上がってきて、ノンフィクション文学としての完成度が高い。詳しくは本書を読んでいただくとして、私はあれほどまでに日本中から注目を集めた蔦文也という人物の魅力は、やはり戦争というキーワードを抜きにしては語れないのではないかと思う。そのことが「監督・蔦文也」に名状しがたい深みをもたらしていると思うのだ。
蔦氏は酒好きで知られた人物だが、その酒はもともと特攻隊時代に死の恐怖を紛らわすために覚えたものだと生前、折に触れて再三、吐露している。そのことは、蔦氏の回想録を残そうと私が90年代初頭に行ったインタビューでも屈託なく話してくれており、今回思い出深く、その取材録を読み返している。

